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わが助けは天と地を造られた主から来る。(詩篇121篇) 
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朝からすみません。

すごいなって思うんです

過ぎた3年ほどは、慌ただしく過ぎて
なれない育児に、へとへと。 
周囲には(自分でも思うほど) 世間で言う「大殺界」でないの?って思うような
病気やちょっとした事件が多くて
「神様助けて~」といつも祈ってました

今の家に三年ほど住んでいますが
犬アレルギーの息子の為に家の半分を壁で区切って
犬との生活を分けています

神様から祈って与えられた家は
犬にも人間にも不便や窮屈を与えない間取りになっていて
区切っているにもかかわらず、それぞれが不自由なく伸び伸びと過ごせています。

今まで住んできた、見てきた家では
ちょっと考えにくいことです。


いつも祈っていて、それでも厳しい状況に陥ることはあり
これが何年続くのかと心配になることがありますが
そんな時期にも、本当に必要な物はすでに与えられていて
厳しいと思った状況や経験も
全てが益になって、勉強になって 
今に生かせています

犬たちの住処のことを思うたびに
計り知れない神の計画を感じるのでありました

パチパチパチ
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そういえば、一か月ほど前に聖書学校時代の友達と
久しぶりに集まって、夕御飯会をした時のこと
書いていなかったので。

プチ同窓会のようなもので、定期的に集まるのですが
神様の話を熱弁しあえるので 集まりがとても楽しみです。

聖書学校に通っていたのはもう、2年ほど前のことになりますが
そのころ、友達の一人、Nさんにはひどい鬱症状の娘さんがいて
彼女のことを心配して夜も眠れないほど苦しんでいました。
同時期に旦那様は酒におぼれていました。

仕事もしていないNさんは、そんな家と聖書学校の行き来だけで
それが生きているすべてでしたので

「聖書を知ってから、家庭環境がますます悪くなったのは何故だろう。
神様はいつも私を御言葉で支えてくださって
隣在も感じるけれど 
娘は重度の抑うつで毎日、彼女の命がとられるのではと心配で眠れないし
旦那も毎日酒浸りで、家事も子供のことも私に任せきり。

家が悪いのか、何が悪いのか?
私が一体どんな悪いことをしたから 神様はこんな仕打ちを許しているのか
今は全く分からない。」
と嘆いていました。。

私が鬱で苦しんだのを知って、
鬱は病院の薬なしで、聖書によって回復できるという事を知って
娘さんも教会に連れて行きたいのだけど、嫌がる本人を
無理には連れて行けない。。。という状況にいました。

その頃は「時」じゃなかったのでしょう。

あれから2年近くたち、先月の井戸端会議の時、
Nさんから喜びの報告がありました。

娘さんは
「一生、薬を飲み続けなければいけない」と
心療内科で告げられていたのに
ある面白いいきさつがあって、彼女自ら聖書に出会うことになり 
その聖書の言葉から、生きる希望を見つけることができ
一年して…今ではすっかり、薬を飲まずに完全に鬱が治り
しかも、鬱に苦しむ人たちのために働いているとのこと。

びっくり!!(*0*)

あんなに「神様の考えがわからない」と言っていたNさん。

でも、ずーっと娘さんのために祈り続けていました。
夜、眠れずに涙が止まらずに横になっているとき
優しい光に包まれるような感覚があって
「イエス様に励まされていると感じた」そうです。

母の願い、祈りが実をつけたのでしょう。。。


娘さんは、沖縄の大自然の中 食事療法と聖書の学びで
体のリズムを整えることができてから、
自分に向き合って追い詰める感情を 自分の力で回避できるようになりました

自然に触れることで 神様が美しくこの地球を創造したことを体感して
感動して 心の回復ができたと言っていました。

人間は大きな存在を目の前にすると、
自分の小ささ 無力さを受け入れることができ
また、感動することで
心の垢を取り除くことができるのだと思います。

鬱って、ほんとうに
薬なしで治るのです。

昔、ある人が「心は心でしか治せない」と言っていました。
薬で麻痺させるだけでは、病は治せない
理屈では 分かっていても
実際に苦しんでいる沢山の人がいます…

鬱になる人って、心の弱い人ではなくて
まじめすぎて 考えすぎて
不満や怒りの矛先を 他人ではなく自分に向けてしまう人です
自分に向き合いすぎる人です。


今、考えるとNさんの苦しんだことは 
Nさんだけでなく Nさんの家族全員が神様に強くつながれるために必要だったことで
あの「神様、どうして?」という問いかけがなければ
Nさんの信仰すら ここまで続かなかったはず

信仰が磨かれるために、必要な時を
Nさんは神様から与えられていたのでした。

神様の計画って、凄すぎるーと感動
あの頃は Nさん一家の出口が見えなくて
聞いている私でさえも、弱気になりましたから。

話は変わりますが、
同じくNさんの話です。
その井戸端会議の時、Nさんはちょうど足を骨折中でした。
ギブスはとれていたのですが
杖をついて歩いていました。
でも嬉しそうに、

「足を骨折してよかったことがあったのよー!」
またですか?
今度は、なんですか?

いったいどういうことかと、説明します。
Nさん、
骨折して、家事も働くこともできなくなって
(働き始めたのは、実は旦那様と離婚するための資金つくりだったとか)
途方にくれていた。
でも、骨折したことで旦那様が変わったのです。

これまで全くしなかった家事もし、出かけるときはいつでも一緒に行きたがる。
Nさんのことを、大切に大切にして
酒も飲まなくなった。 
そればかりではなくて、教会の行事にも顔を出すようになった。
神様を信じてはいないけれど、Nさんと一緒にいれることが嬉しそうだと。。。

これにはNさん自身が一番、驚いた。
「初めのうちだけでしょ」って思っていたのに、
3か月のあいだ、ひと時も絶えることなく旦那様の愛情を(新婚以来ぶりに)感じ続けた。
そこで、Nさんは気がついた。

「私って、すべて自分でしていたの。
旦那は仕事があるからと、気を使っているつもりで
家庭のこと、子供のことは何もかも
私は彼に相談せずに、自分ですべて解決していた。
何も頼ってくれない私に、彼は定年した後 
ますます家庭での居場所が分からなくなって、唯一大好きな酒におぼれたんだなって。
今、やっと気がついたのよ。
私が教会に行くのも、彼は取り残された気がして嫌だったはず。

今、彼を頼らないといけない弱い私になって
彼は毎日を嬉しそうに、楽しそうにしている。
必要とされることが嬉しいんだなって、
私に家庭不和の原因があったことを、骨折が教えてくれた。
骨を折って、本当によかった」
Nさん、包帯の足を嬉しそうに見ていた。

神様がしてくれることって、ほんとうに
一見悪い状況に陥ったか?というようなことも
すべて益に変えてくださることばかり。

私もこの言葉を聞いて、勉強になりましたし。

こういう風に、ちゃんと祈りを聞いてくださって
学びの時を与えてくださって
結果的には
私たちが求めているものより良い結果をくれる神様。

キリスト者で集まる時に、そういう恵みの分かち合いができること
神様がしてくださったことを 報告しあえることが とても面白い。

いいことばかりじゃなくて、悪い状況にいる友の話も
聖書的な観点からみんなで解決のヒントを探しあったりして
そんなことも、面白い。

そんな友達や居場所を与えてくれた神様に感謝。。

私たちだけ神の愛で潤うのではなくて
鬱に苦しんでいる人や、人生の意味を知りたくて苦しんでいる人たちが
神様の最良とするときに
聖書に触れる機会が与えられるのを祈り続けなきゃ!!

警察沙汰になった 
うちの1階専属 愛犬りり子さんは
「分離不安症」ということで、ただいま症状を改善するための 訓練をうけております。

もう一匹の 白い毛むくじゃら犬「わか子」も同様、トレーニング中で
私の妹と寝食共にできないのが 辛いようです。
妹を見て柵の向こうで鳴いている わか子を見るのがとてもつらいと妹が呟いておりました。

「時には懲らしめを与えられ、成長を促される神様の愛がわかるよ~」
と 我が妹ながら、良いこと言っていました。

二階専属 トゥトゥとコパンは相変わらずの様子で
裏のアパートの住人に吠えては 私に叱られています。
不審者に吠えるのが仕事なんですが、やっぱり手当たりしだいに吠えますので
イヌ用「不審者の見分け方マニュアル」なんか、あったほうがいいなと思ったり。。。

最近の私。
何日か前にブログに書いた 宗教について…を心のどこかで書いたことに後悔しつつ
過ごしていました。

聖書を熱心に読む時間もないのに、偉そうなこと言えるよなー! なんて。

そうこうしていると、保健手帳をなくしたり(意外な場所で発見しましたが)
シンクの水切りネットを買いに行って、それを買い忘れて 他の物を買ってたり(3度も)
職場に提出する 産休のために必要な書類をもらい忘れて
次の日も病院に出向いて 「あれ?昨日、来てましたよね?」と言われたり

ボヤボヤしすぎて、変な失敗の多い毎日を過ごしています。。

でも、すっかり新居での生活も落ち着いてきて
最終の段ボールの山も 今朝出すことができて
外は秋模様だし、今日は週末金曜日だし…
とてもリラックス気分で幸せです。

ちょっと、この世って 
プラマイゼロになるような仕組みになっているような気がしているのですが

何かを得たら、何かを失う…何かを失って、何かを得るとか。
失うことは決して悪いことではなくて、
受け取り方では良いほうに導かれると思います。

今の家に来て得たものは多いけれど、
気がついてなかった 失ったものもあるなーと。

それを思い出したのは、トイレの窓から見えたオレンジの夕日。
昔住んでいた、実家でも
最近まで住んでいたアパートからも いつでも窓を開けると
簡単に星や太陽や夕陽を見ることができた。

今の住まいでは星は見えても、朝日も夕日も見れない。
トイレの小さな窓から 遠くに見える
町を手前にオレンジ色に輝く夕陽の美しさったら!!!!

「わー!! いつも、あんなに綺麗なものを自由に見れていたんだな」って
かなり幸せだった過去を知り、

でも、この小さな窓から見えたから
あんなに夕陽を愛おしく思えたんだと 
自由に見れないことにも 感謝だった。

自由って、「自由でないこと」なんだ!!!
発見!

(今頃?)

警察ざたになった、吠え声事件も
1年かかった移住計画も、
まさかの 妊娠騒動も
聖書なくて、自分を見失う事件も
「汚染米」を「無洗米」と勘違いした、あの日々も…

この10月末の 涼しい夕方に良き思い出としてブログに封印いたします~。。
それでは、どうぞー。

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           パチパチパチ

 

私のだんな様は風鈴の音色が好きです。
ベランダの物干し場に、伊藤園の緑茶の景品でもらった風鈴が下げられていて 
いい音を鳴らしています。

…と、ちょうど、この文章を書いている今 
彼が「風鈴の音色はいいな~」と言いながら 部屋に入ってきた。
「今、風鈴のことをブログに書いているよ」と私。

最近、私もその音色が好きになった。
こんな風に、何気ない会話や互いの好きなものを増やしあえることが 
とてもいいなと思う。

彼とは、何百年も知り合いだったような仲です。
ビデオを返しにいく、行き帰りの車の中で
眠い私に 「音楽とはなんぞや…」 彼が彼の意見を熱弁してきた。
それを聞きながら、「うん、うん」とうなずきながら助手席で座っているだけの私。

一人でも行けることなのに、眠っているのを起こされて
ただ座って曲を聴きながら、彼のうんちくを聴きながら
「こんな時間が 本当に本当に幸せだなあ」 と感じていました。

もし、お互いのどちらかが先立ったり
逢えなくなる事がこれから先あったとして
私はこんな時間を過ごしたことを
かぞえきれないほど思い出すんだろうなと しみじみ。

****************** 

ここ最近は夕御飯を作りながら、また音楽を聴き始めるようになった。
前のアパートでは、イギリスのラジオ局の放送を聴いて料理していた。
スコットランドの大学生の選曲で流れる音楽は
沖縄とも、日本とも、アメリカとも違う…あたりまえだけど 
遠い海を越えて イギリスに行った気分に一瞬なれる。

もちろん、大好きなあの英語のアクセントが聞けるのが
最高に幸せ。

でも今はCDを聞いてます。
今夜はノラジョーンズでした。
愛犬コパンとトゥトゥはノラジョーンズの曲が大好き。
かけるとすぐに、ウトウトと気持ちよさそうに眠ります。

私も彼女の曲を聴いて、気持ち良く料理していて
ふと、二匹の部屋を見たら
案の定、二匹も気持ちよさそうに眠っている。
音楽って本当にすごいなと 感動ふたたび。

***********************

幸せを感じることって、沢山あるけれど今日だけでは書ききれません。

たとえば、
昨日、近所に住む友達から沢山の野菜やなんやらを袋いっぱいにもらったこと。
昨日の夕御飯と今日の夕御飯が豪華になった。

なんだか、昔の良い時代の近所づきあいみたいで
こんなことが、とっても嬉しい☆
彼女からは今まで、目に見える数えきれないほどの物をもらっているけれど
気遣いや優しさ 励まし等々も一緒に袋に入れて持ってきてくれる。
私は何もあげてないのに、もらってばかりです。。。感謝。

この引っ越しを機に、彼女とは近所になった。
初の妊娠も同じ時期。
彼女とは聖書を通じて3年前くらいに、友達になった。
神様にただただ、感謝。

*******************

今朝、虹が出ていた。
職場の駐車場に入ったら、目の前に虹が大きく掛かっていた。

「わ~」と思ったら、
通行証を確認する係りのお兄さんが
「大きな虹だよ!」と嬉しそうに 虹を指差した。

あんなに綺麗で大きな虹。
お兄さんまで嬉しそう。
虹が大嫌いって人は 世界中に数えるほどもいないと思う。
見た人を幸せにする虹は ちゃんと聖書にも載っている。

********************

最後に。
玄関の電気をつけて、二階へ上る時に
階段の途中でコパンが私を待っていた。
私がまだ低い所にいるうちに
久々に、コパンの鼻先に軽く「ちゅっ」をした。

そしたら思った以上に、コパンの鼻に私の唇がくっついて
結構りっぱなキスになった。
驚いたけど、
コパンの小さな尻尾が、横に揺れていた。
それを見て、「ああ、嬉しいんだ!」と私まで幸せになった。。。

こんな私を大好きでいてくれる小さなコパンとトゥトゥ。
二匹を見ていると、心がとっても暖かくなる。
二匹に会わせてくれた 神様に心から感謝です。


今、思いだせる幸せを急いで書きました。
また思い出したら、忘れないうちにブログに書き込まなきゃ

今日は午前中で仕事を終えて、
午後からは神奈川からはるばるやってきた大渡さんと
首里へ観光に行ってきました。 
1時に待ち合わせて、六時までの短い時間でしたが妹も一緒で楽しい時間でした☆

はじめに首里の「御殿山」という沖縄そばの店に行き
昔ながらの瓦ぶき木造の沖縄住宅で そばをいただきました。
普段の生活では「地球温暖化」をもろに体感するほど、暑いのですが
沖縄の瓦屋は ほのかな風でもとても涼しく感じて 
心の底から感動

これこそエコ住宅だ!!と思いました。
これからはしっかりした木造で屋根の大きな、沖縄の昔ながらの住宅のような
台風にもつよく、風がなくても涼しい住宅が増えたら
かなりのエネルギー節約になるのになと強く思いました。

私は今回、コンクリート住宅を購入しましたが
私の子供が大人になる頃には、木造住宅が増えていると思います。
結婚前まで住んでいた家も木造でした。
とても過ごしやすくて、クーラーなしでも17年快適に過ごせました。

と話は元にもどり、

次に、首里城に行きました。
赤い城なんて そういえば珍しいのでは???と直前に突然、テンションが上がり
今まで行こうとも思わなかったのですが、行ってみたら やっぱり良かったです
ただ、神殿?の模様がラーメン屋さんチックでした。
中も外も真っ赤で ラーメン屋さんの模様があちこちにあって、
キュートなお城でした~

フィナーレに行ったのは 南城市にある「くるくま」という海が見渡せるカフェ。
南城市という場所は、私たちが住む沖縄市からは2時間近くもある
遠~い、遠~い場所でして 今回初めていくし、土地勘もないので
少し不安に思いながら 地図を片手に「あっちだ、こっちだ」とクルクル回っている間に、
いつの間にか着いていました。
首里から1時間もしない間に。
奇跡的でした

夕方だったので ずいぶんと涼しく(風がなかったのに) 
美しい海の景色と
冷たいぜんざいを堪能してきました。
時間が気にならなければ、もっとぼーっとしていたかったです。。。

それから急ぎ足で那覇に向かい、
どういうわけだか、6時の渋滞に巻き込まれることなく
30分ほどであっという間に那覇市に到着。
どこからどうやって車が走ったのか、意味がわかりません

それから、大渡さんとは那覇市内の国際通り近くで別れ帰宅し
家に着いたのは午後7時半ごろでした。
かなり充実した5時間でした。
こんな時間を過ごすと、また一層、神様が側にいて助けてくださっているのが分かり
その恵みに感謝なのです。。。。

いつもの家に着くと、コパンとトゥトゥの歓迎お出迎えを受け、
とても心がホンワカと和みました。
どんな素敵な所にいっても、やっぱり家が一番い~な

首里城

200808281521000.jpg  「くるくま」のぜんざい。200808281727000.jpg

おまけ: 首里城であった子猫ちゃん

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今日は待ちに待った、新居の引渡しの日でありました。
仕事の休みをもらい、旦那様と母と3人で銀行に行ってきました。

銀行、不動産業者、司法書士とのやりとりが終わり3時間が過ぎていました。
この作業が終って、本当にあの家が我が家となります。

待ちの時間に、不動産の担当者「宮城さん」が
あの物件は購入したいとの問い合わせが多かったと聞きました。
母と、「大切に住まなきゃね」と話しました。

あっという間に、気が付いたら 本当に家が与えられて
住むことになっています。
この備えは、私達が計画した時よりも遥か昔から
神様より与えられていたんだと実感しながら 感謝でした。

今のご時勢、土地から購入して建物(しかも二世帯)は本当に難しいそうで、
特に沖縄は鉄筋コンクリート住宅の建設が平均的に行われていて
その建築の構造計算が出来る人が 沖縄で2人しかいなくて
土地を買って 計画しても 着工までに2年かかることもあるそうです。
これは今日、司法書士の方から聞いたことです。

新聞などで知ってはいましたが
かなり深刻な問題になっているそうです。
建物が建てれないから、工事が出来ずに仕事がない人たちが多いとか。

…ますます、大切に住もうと思いました。

今日の手続きで、旦那様の手際の良さに我が夫ながら関心しました。
元々はそういう仕事で毎日、契約や融資の手続きを3件、4件扱っていたそうで
場を仕切っていました。

銀行の仕事は 本当に難しいと感じました。
お金を扱うし、人に気を使うし、冷静でないと出来ない…
今日の引渡しの手続きで 飛び交う書類と 意味の分からない言葉と
印鑑を押す多さと、色んな種類の保障と…

側に座って見ているだけでしたが めまいがしましたし、
疲れました。 
何もしていないのに~。。。

「適職」って言葉が頭をコダマしました。
適職ってあるんだよな。 今更ながら、思ったのであります。
私がもしも、銀行に働いていたら
3日で円形脱毛できると確信しています。

私の教会の主任牧師が出張だったので、
今日はそのお父さんの文三牧師が代わりに礼拝でメッセージをしました。
文三牧師はもう80歳近くになりますが、まだまだメッセージに力強さがあります。
でも、その外見は
聖路加病院名誉理事長の日野原重明さんに、似ていて
穏やかで 優しく、見るだけでホッとするのです。

今日はイザヤ書6章1節から3節を抜粋して、
そこからのメッセージでした。
「うん、うん」と思わずうなずいてしまうメッセージを文三牧師からいつも聞くことができます。
彼の話を聞くと、小さな私の日常が
たちまち大きく広く、鮮やかに、楽しくなります。
視野の狭くなった心を、聖書の言葉で広げてくれます。

今日の箇所からは、

「自分の浅はかな歴史を自慢し、誇り、それに頼る現代社会において
神のみがこの世の全てを治める、唯一誇られるべき存在であると知る大切さ」

「人間は自己中心になりがちな 小さな存在である。 
人間を神としてはならない。頼るべきは万軍の主のみ」

というメッセージでした。
 
優しい声で、広大な神様の話をする文三牧師は
メッセージは聞くと瞬時に目が開くような、目覚めるような感覚になります。
とにかく、広いのです。
大きいのです。

大きな存在に愛され、守られているから 
大丈夫!神様の導きを信じて喜んで日々を過ごそう!と思えて元気になります。

文三牧師の今週の週報に書いていた一言メッセージがとても良かったので
下に書こうと思います。



「何が幸せ?」 

渡真利文三 - 胡屋バプテスト教会名誉牧師

「神を愛するものたち、つまり、ご計画に従って召された者達には、
万事が益となるように共に働くということを、
私達は知っています」(ローマ8章28節)

私たちの生涯には、良いことばかりでなく、
思いがけない災難もあれば、失敗もあります。
自分の無力さ、欠点、痛みや苦しみもあります。
しかし、私達が、神の目的に向かって歩み続けるならば、
全てが益と変えられるという御言葉の約束が
私たちを今日も励ましています。

神の愛を知り、罪を悔い改めてキリストを信じる人々には
人類の敵である死でさえ永遠の生命の祝福に入る門となるのです。

病気や試練、苦難、痛み、悲しみに出会っても
かえってその出来事によって、神の愛を知り、神に立ち返った人々には
全てが喜びと平安、感謝へと変えられていきます。
「変革のある人生」です。

今、暗いトンネルの中にある方、
全てを益と変えてくださる神に寄り頼み、
心を開いて従う者となるあなたの信仰を、神は期待しているのです。

今は明け方の4時前です。

昨日は眠る前に雨が降っていたので、空は曇っていました。

今起きて 空を見たら 何にもない透き通った夜空でした。 半月なのに、月の光が地面を照らしています。
コパンの顔を見たら、月の光に照らされて 瞳が輝いていました。

最近は早朝に、ベランダに座ってコパンを膝の上に乗せて
空を見ながら祈るのが大好きです。

これまであったことも
私が昨日 してしまった罪も

あの空を見たら すべて良くなっていくと 思えて感謝です。
神様が「これを見たら また新し気持ちで歩き出せるでしょう?」と プレゼントしてくれたと思います。

地上を見ると、人が作ったものと
私、周囲何百メートルの景色しか見えなくて
その中にも十分な神様からの贈り物はあるけれど、

天高い場所を見上げるときに
確かに、この世界には神様がいて 静かに私達を見ていらっしゃると
もっと強く感じることが出来るので私は早朝の空が大好きです。
「あなたの目は身体のあかりである。

あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、

目が悪ければ、身体も暗い。

だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。」

ルカによる福音書11章34節、35節


神様を信じてから変わったことは何だろうと、最近考えていた。
神様を信じなくてもいい生活があるのに、
わざわざ 
教会に行ったり、聖書を読んだり、聖書に関係した本やテレビを見たいと思ったり、
家族や友人、知人とイエス様の話しや聖書の話などをしたいと思ったり、
キリスト教に関しての講演会があれば 飛んで行きたいと思ったり…

どうしてなんだろう。 と考えてみた。
どの時点でイエス様を 神様として確信したのだろう。と 思い返してみた。

う~ん。。。。

確か、5年前までは 全く信じていなかったはずだ。
しかも、宗教全般に 「怪しい」と思っていたのに。

う~ん。。。

はっきり覚えていることで、それまで経験したことのない体験をしたのは
ある日、朝の教会の礼拝で、賛美歌を歌って 涙がとまらなかった事。
その時まで、一度も、賛美歌で泣いたことがなければ
礼拝で泣いたことがなかった。

なのに、その時期は何週にも渡って礼拝中に涙を流していた。
自分でも分けが分からなかった。
ただ、ただ、賛美歌の詩と 歌っている人たちの背中を見て感動していた。
それまでの、疲れも重荷も 取れていくような感覚。

その頃までの私は、今に比べて
意地悪で 視野が狭く、人の批判ばかりしていて
「負けたくない」という意地の固まりでした。
手に入れたいことは、必ず成し遂げたいといつも 踏ん張っていた。

あの頃に夢見ていたことは ほとんど手に入れて
「結婚」に夢はもっていなくて
「子供」嫌いだったので
それから先の夢がまったくない状態でした。

夢がなくて、自己中な私は とても辛くなっていきました。
怒りがコントロールできなくて、
世の中が馬鹿らしく感じていました。
もう、最悪でした。

何を手に入れても、本当の希望と愛がなければ 人生は虚しいだけです。

あの礼拝の涙の瞬間、誰に教えられたわけでもないのに
「私はこれを求めていたんだ」
「もう大丈夫だ」 という思いが 心の中を木霊していました。
不思議な体験でした。


そんなこんなで、それから5年ほどたちます。
未熟者のキリスト者ではありますが 
神様から離れたいと思う生活を送らずに、ここまでようやく辿り着きました。

冒頭の聖句は、聖書につながった人なら度々思わされる言葉だと思います。
私の解釈は単純です。 
無意識でも聖書から離れた生活を送ってしまうと
前向きでなくなったり、良い考え方が出来なくなったり、
自分の思いで行動してしまうので 無理して疲れやすくなる。
だから日々を暗くしないように、聖書につながっていなさい。
人生を明るくするために、聖書につながっていなさい。

聖書を読むと 心に平安が来て、落ち着きを取り戻せます。
既に受け取っている恵みに気づかされるので、
感謝が来て、前向きになれます。
キリスト者になった日々は、それの繰り返しです。

私が一番変わったことは、心の中の「全知全能の神様」というより所です。
沢山励まされたし、世の中で勝つことや物を手に入れることが幸せではなくて
日々の生活の なんでもない全てが 感謝してもしきれないほどの
幸せが詰まった贈り物だと 教えられました。

無理せずに、自分らしく。
与えられた人生を 楽しんで感謝して生きることが
神様への恩がえし。
土、日の二日間 合計8時間も名護までの往復に費やした私のゴールデンウィーク。
昨日はだんな様の壊れた車を 日産まで届けるため再び名護まで行くことになり、土曜日より早めに家を出ました。 なのに混雑の状況は土曜日よりも悪化していて 一車線しかない名護までの道を時速10キロも出さない状態で チンタラ チンタラと3時間近く車の中で過ごしたのでありました。

その上、だんな様とは別々に車に乗らないといけなかったので 3時間無言でありました。 私の携帯の電池が1本線になり 電池切れ寸前だったので、(もちろん運転中に電話はいけないが) 外の風景を撮ることも出来ず、何かあった時のために電話も使えず 地球温暖化防止のためにクーラーはなるべくつけなかったので、ものすごく暑くて汗がタラタラ…

無教会の徳島集会の賛美歌の練習ができると 張り切ってCD聞きつつ「主イエスは~」とか始めの一時間はノリノリで歌っていたのですが、…気がつけば、2時間過ぎた頃には大好きなロックのレイジ、インキュバスやケミカルをガンガンに鳴らして頭をフリフリ聴いている私がいたのでした。 

ちょっと、制御不能に陥りました。 はい。

混雑や並ぶことが人一倍嫌いな私。 今まで避けてきた分が、つもりに積もって、この二日に集中していらっしゃった感じでした。

一日に何時間も、車内にいるタクシー運転手さん達をとても偉いと思いました。 たった二日だけで、疲れが背中と腰にきています。 あいたたたた。

右半身だけ運転焼けしてしまった旦那様と、汗だらだらの私はついに日産に到着~。
店内で涼んで、車を渡したあと、買った車をじっくり見たかったのですが背後で店員が見送りに外まで出てきたために見れずにそのまま私の車に乗って どこにも寄らずに飛ぶように沖縄市に戻ったのでした。

「もう一生ゴールデンウィークに名護には来ない」と二人で誓いました。

実際、今日は仕事でしたが週末の予定が多かったので念のために年休をとっていました。 

正解でした

朝、久々に犬たち抜きで ジョギングしてこようと旦那様が言っていたので 張り切って準備して、外に出たとたんに雨。

昼、曇っているけれど雨は降らなさそうだったので 再びジョギングしてこようと準備して、外に出たら またもや雨。

天気予報を調べて、夕方には晴れるようだったので 夕方になってまた準備をし、「一緒にいける」と思って騒いだコパンたちを置いて駐車場まで出たら また小雨が降り始めた。

「今日はジョギングしたら駄目な日なんだね。」と二人で、諦めて部屋にもどって5分ほどして旦那様が「雨がやんでるよ」

「3度目の正直で、行ってみよう!」と玄関に行ったら あとを追って

「一緒に行きたいの」…キラキラと愛犬たちの まなざし。

連れて行くことになり、2人と2匹で運動公園を走ってきた。

心臓の悪いコパンが気になったけれど、本人は久々の広い公園にテンション上がりまくり。
嬉しそうに走り回って、誰よりも元気だった!!!
笑顔で走るコパン。 後を追って 楽しそうなトゥトゥ。

連れて行ってよかった~。。。 
雨が降って、良かった~。。。朝から天気だったら、こんな幸せそうな二匹が見れないところだったよ。

連休のよい締めくくりでありました 神様ありがとう。

この一週間も色々ありながらも、いたるところで神様に守られていることを感じながら、生かされて感謝でした。
聖書を心から理解できるようになったのは、本当に最近の事です。 4年前だと思います。 それからは、奇跡というのは 目の前で不思議な現象が起こるということではなく、命が与えられて「生きている」ことだと判るようになりました。 

ただ誰に望まれるわけでもなく咲いている 春の小さな花も 先週の木曜日の 重い私の心を ホンワリと和ませてくれました。 職場の駐車場の芝生には、今、タンポポが沢山咲いています。 タンポポを見て、気持ちが和らぐようなことこそ「奇跡」だと思います。 意味のないように そこにただ咲いている 私と会話も成り立たないタンポポが、生を与えられてその場所に咲いているだけで私を励ますことが出来ます。

ただ生きていて、なんとなく過ごしていると 何か凄いことをしている人に気後れしたり、時代に追いついて華やかにしているほうが輝いて見えたりするのですが そういうことばかりに気をとられていると、自分の価値をその中に当てはめられなくて落ち込んでしまうことがあります。

でも、神様は 私が喜んで生きることだけを望んでいるんです。 何が正しいか、美しいことかを自分の心で判るようにと 私という命をこの世に存在させました。 凄いことをして、誰よりも正しく、成功し、この世の富と名誉を手中に入れて欲しいと願って この世に私を作られたのではないと思います。 それらは いつか無くなるものばかりですから。

私でいていいのだ、無理するのではなく、 私らしく生きていることで 誰かの役に立っているかもしれない。 道は神様が 切り開いてくれる。 必要な努力と知恵は教えてくださる。
 
最近は教会の奉仕をすることが 楽しくてしょうがありません。 私を必要としてくれる場所があって、無理なく自分に出来ることだからです。 喜んで楽しく生きるのが、神様への自分に出来る恩返し。 


詩篇34編4節
「わたしが主を求めたとき、主はわたしに答え、
すべての恐れから私を助け出された」

あれよ あれよと始まったブログも、なんとなく形になってます?
文章力はないけれど、思い込みの激しさは人一倍あるみたいで 書き始めると「と、止まらない!!」現象に陥っていました。。いらない部分や、意味不明の箇所、勘違い…多々あると思いますが お許しを。

最後ぐらい、スカッと爽やかに締めくくりたいです。
風邪の最中で部屋の中、マフラーをしながら猫背でパソコン中~。
 「NO年越しソバ」で今、私は最高に地味です。 

コパンの耳をかじってみました。 (くわえただけですよ。)
何の反応もありません。
見た目、チョコ煎餅に似ているような。

お腹が空いてきました。 

ではでは、2008年で!
こんばんは。
胃腸炎も終盤に迫り、いそいそとパソコンに向かう私です。
昨日までの胃のむかつきが 嘘のような今日の回復ぶり☆ 

神様が酵素を買うように妹を用いて導いてくださったので、土曜日から酵素を食べています。
胃にいいらしいのです。奇跡的な回復力です。
私の食べている酵素はミルクのような粉状のもので、甘くて美味しくて、それでいて身体にいい…お薦めです☆
でも、注意しないと器官に入りそうになって ゲホゲホします。

この話をしたら、旦那様は彼の薦めた梅干が良かったんだと主張しているので
梅干と酵素のダブルで胃炎をブロックしたと 思います。

今年もさまざまな事がありました。
たかが12ヶ月、されど12ヶ月。

2007年フィナーレを飾ったのは実家の売却でした。
私が結婚してから、それまでも不安要素であった実家の維持管理費が 母だけの力ではどうにもいかず…
また、母の経営している美容室も利益を出せない状態になったので
美容室の改装を自分達の力でやってみたのですが、最善を尽くしても結果は改善せず。
9月に入ったあたりから、これから進むべき道を示してくださいと神様に祈っていました。

17年も住み慣れた実家を売るのは寂しいのですが、
私達もいずれは家を建てるだろうし、今後の事を考えても、いや、20年後までのことを自分の想像力の範囲で考えても 今から母と一緒に住むことが お互いにベストだと思い
家族会議を開き、「実家を売る」ことに全会一致で可決したのでありました。(3名しかいないですけど) 

神様が良しと思う時に、私達に家の売却に関してやるべきこと事を行わせてください。
と家族で祈り始めました。
それからは、毎週末家の清掃と修繕とペンキ塗りに追われました。
祈って、神様に委ねているので 計画が進むと全てが用意されたように早く作業が進み、
雨や病気で何も出来ないときは、焦らずに休むことが出来ました。

神様の用意された時に委ねることが 最善と知っているから
自分の思いで 無理に進めることがあれば すぐに心に平安がなくなり
不安だらけになってしまうことも 知っているから
祈りながら進んだこの3ヶ月は、まさに、御手の中にいるような…大変だけど 安心のある、楽しい日々でした。

みんなで掃除をしながら、「この家に感謝を返そうね」と母が言い、
これからこの家に住む家族に、喜びと平安の中で祝福されて過ごせるようにと神様に祈りました。


先週、広告を出したところ
沢山の家族が見に来てくださり、そのうちの3家族が購入したいと申し出てきました。
売れるのか…不安でしたが、こんなに早く決まるのは驚きでした。

一日経って、嬉しいのだけど…やっぱり寂しい気持ちになりました。
神様の導きに感謝。
大切に住んでくれる家族に決まるように…と思いました。

次に住む家の事を考えると…やっぱり不安と寂しい気持ちが入り混じった 複雑な心境に。
その時に与えられた御言葉が

第2コリント8章10節
「それはあなたがたの益になることだからです」

そして、それに続くメッセージが
「手放すように感じることも、本当はあなたの益になるためなのかもしれない。 順調にいかないように思える状況も、実はあなたの益になるための過程なのかもしれない。 今すぐには分からない事も 必ず意味があり、後々わかるようになる。」(やすらぎの言の葉No1482より)

とありました。 不安になった時に携帯のメールに配信されたメッセージ。 
部屋のどこかに、神様の隠しカメラがあるのかキョロキョロしたくなるタイミングでした。
いつもそう。
神様に常に頼り、話しかけ 対話すると
私のアンテナが神様のメッセージに対して3本立つようになる。 送受信が早くなる。
こうして、あのメッセージのように必要を与えて 私を慰めてくださる。

この世を創られた偉大な方を見方につけたような
とても心強い気持ちになって
感謝と共に、どんな山も乗り越える力が湧いてくる。

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神様のどんな計画が、これから用意されているのか楽しみです♪

もう、11月も終ろうとしてます。
沖縄も寒さが本格的になってきたので、さきほど今年はじめての電気ストーブを出しました。
コパンとトゥトゥは、まん前に陣取って スチームが「じゅ~」っと音を鳴らして出ている電気ストーブを不思議そうにじっ~と見ています。

先週、職場でストライキをしました。
第一回目、4時間のストライキ。
これからの給料が10%カットされるというのです。
これまでも5回ほど、実際にカットされてきました。
職場に来ないことで 「給与引き下げ反対」の意思表示をしようと、参加しました。

でも、終ってから 腑に落ちないと感じることが多くありました。
これから8時間のストライキを予定しているようなのですが、
私は通常通りに仕事することに決めました。

世の中には、本当に経済的に大変な人が沢山いる。
私達も大変だけど、生活の無駄を省く選択の余裕はある。
給料カットされたことで、そのお金が大変な部分に役立つと信じたい。

最近は、不必要なお金の使い方が明るみに出たり、
政治の世界などでの不正なお金が暴露されたり、
「頑張って税金を払って、馬鹿をみた」ような悔しい気持ちになった。
でも、そうではないんだと今回のストライキを通して判らされました。
この暴露事件は、おかしなお金の流れを止めるために起こった事であって(掃除したみたいな感じ?) ただ、私達国民を「政治不信にさせる」出来事なのではない。

私達のような一般市民こそ、豊かさに慣れすぎてしまった。
贅沢に暮らしている。
一度吸った甘い汁は、忘れられないのだ。

「清貧の思想」が今まさに、生きる時代なのだと思う。
少しのものを大事に頂く。
幸せは物ではない、お金ではないという事を私達は学ばないといけない。


聖書の言葉:

マタイによる福音書第6章19節~21節

「あなた方は自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝を蓄えてはならない。 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 あなたの宝のある所には、心もあるからである。」


私の贅沢な宝物は、神様から頂いた 御言葉や日々の恵み。
これまでに、今の職場から頂いた十分すぎる給料で
こうして電気ストーブの前でくつろいでいるコパンとトゥトゥに出会うことが出来た。
感謝しないと!!

もしも続けて、今までと同じように給料をもらえていたら
気がつかなかった日々の恵みが多かったはず。

季節ごとの服…という自由は無くなる代わりに
聖書の言葉という、見えないけれど いつまでも色あせない豊かさを 身につけたい。

PS。
今の給料で一家がやっと暮らしていける…って家族もいることもわかります。
そういう所に、私たちのカットされた給料が流れていってほしいです。
格差社会になります…が、人間の知恵で 社会全体で助け合って生きることも出来るようになってきたらよいなと思います。 そうするようにと、神様が許したことなのでしょう。
「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神に習うものになりなさい。また愛のうちを歩きなさい。」 
エペソ人への手紙5章1節から2節途中まで(口語訳)

パウロさんからの手紙。 
新約聖書の多くの手紙は彼からキリスト教徒に送られたもの。
パウロさんは 熱狂的なキリスト迫害者だった。
ある時点から、熱狂的なキリスト教の応援団長に。

辛い所を通ってきたパウロさんだから、言葉には説得力があるな~。

「神に愛されている」…この事を、実感できるまでに私は長いことかかった。 
私だってかつては、神様とか宗教とかって言葉が馴染めなかった。
ニュースで見る宗教団体に良い印象がなかったから。
「怪しいな。怖いな。マインドコントロールされるのでは?」
と思って近づかないように注意していた。
今となっては、自分の判断の基準があやふやだったから しょうがないと思う。

そんなこんなで、その後、色んなところ通らされた結果は…
(すごい短縮しちゃった)

ある日曜日の朝、教会の中にいて賛美歌を歌って涙を流す私がつくられていた。 
雲がかかったグレーの視界から、光の中に出れたような感触。
涙がとまらない。
きっと、自分ひとりの力で生きるのに疲れ果てていたのでした。
神様に「もう、頑張らないでいいんだよ」言われた気がしてホッとしたのだと思う。
とても心に平安があり、優しさを感じ、愛を感じました。
今から4年ほど前の事。

「いよいよ私も宗教にすがってしまった。 誰にもいえない。はずかしい」
なんて言葉が心の中に大きく渦巻いていた。 
だって私がその時まで、宗教に抱いていた悪いイメージがあったから。
かつてのパウロのように、「キリスト教大反対」を背負って歩んでいたから
周囲にクリスチャンと告げるのが恥ずかしかった。

でも教会に行って、毎週せっせと汚い心の中を掃除してもらっていた。
通い続けている間に
私がどんなに沢山の恵みの中ですごしているのか分かるようになってきた。
でも教会で毎週あんなに掃除し続けたのに、ますます私の心の中は黒ずんでいった!

なかなか落ちない頑固汚れだな~と思っていたのは私の心の本来の色でした。
薄暗い光の下ではよく分からなかった心の黒ずみが
神様のまぶしい光に照らされてドンドン明らかになってしまったのです。
は、はずかしい!
もしかして、罪だらけじゃないの????

それからは、ずっと神様の優しく明るい光の下にいたいと思うようになりました。


心に罪があると、磁石のように
心が罪に引き寄せられます。

罪を掃除していって、燃えないごみの日に出して
心を「正しいこと」で埋めるように努力したら 
「正しいこと」に引き寄せられるようになる。

「かなり無理してるんでしょ~?」とかはない。

「悪いことしたな~」って後悔したり、自分の得ばかりを追求することのほうが、
めんどくさいし疲れます。
と、私は思います。

明るみにいることを体験したら、後に戻れなくなりました。
楽しいのです。

私には限界があるので、
私を創ってくれた方に全面的にお任せするほうが楽です。
今ではもう、この事を言わずにはいられなくなりました…「私はキリスト教徒です!」

少しはパウロの気持ちが分かるような。 嬉しい。

キリスト教徒でも、相変わらず山あり谷ありの普通の日々です。 
が、神様と共に歩める事が幸せ。 
迷ったり、落ち込んでも神様が道を示してくださいます。
希望が与えられます。そして、どんな事からも神様の愛が学べて、
生かされていることが奇跡だし、感謝です。 
まさに愛の中を歩んでる気持ちです。

そのおかげで神様の創造された 
天、地、海、自然、動物…花の、「完全で完璧に美しい」ことに感動。
分かっていたけど、こんなにまで美しかったの???みたいな感じです。

かつては怒りん坊だった私が(この顔で)、
今は余裕のよっちゃんでいられることが多いです。
心にポカポカと平安を連れて歩けているのが感じられます。
これからも、神様に習うものとして神様に
愛されて歩みます。

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ジェニ
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誕生日:
1974/01/11
職業:
事務職です
趣味:
犬、音楽を聴く、お笑い番組を見る
自己紹介:
イエス様と聖書が大好きです。。
他に好きなものは音楽とヨーロッパと洋服。

現在http://ameblo.jp/kopa1tutu2/で、出産とわが子についてのブログを更新しています。そちらもこちらも共々、よろしくです~。

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