わが助けは天と地を造られた主から来る。(詩篇121篇)
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「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神に習うものになりなさい。また愛のうちを歩きなさい。」
エペソ人への手紙5章1節から2節途中まで(口語訳)
パウロさんからの手紙。
新約聖書の多くの手紙は彼からキリスト教徒に送られたもの。
パウロさんは 熱狂的なキリスト迫害者だった。
ある時点から、熱狂的なキリスト教の応援団長に。
辛い所を通ってきたパウロさんだから、言葉には説得力があるな~。
「神に愛されている」…この事を、実感できるまでに私は長いことかかった。
私だってかつては、神様とか宗教とかって言葉が馴染めなかった。
ニュースで見る宗教団体に良い印象がなかったから。
「怪しいな。怖いな。マインドコントロールされるのでは?」
と思って近づかないように注意していた。
今となっては、自分の判断の基準があやふやだったから しょうがないと思う。
そんなこんなで、その後、色んなところ通らされた結果は…
(すごい短縮しちゃった)
ある日曜日の朝、教会の中にいて賛美歌を歌って涙を流す私がつくられていた。
雲がかかったグレーの視界から、光の中に出れたような感触。
涙がとまらない。
きっと、自分ひとりの力で生きるのに疲れ果てていたのでした。
神様に「もう、頑張らないでいいんだよ」言われた気がしてホッとしたのだと思う。
とても心に平安があり、優しさを感じ、愛を感じました。
今から4年ほど前の事。
「いよいよ私も宗教にすがってしまった。 誰にもいえない。はずかしい」
なんて言葉が心の中に大きく渦巻いていた。
だって私がその時まで、宗教に抱いていた悪いイメージがあったから。
かつてのパウロのように、「キリスト教大反対」を背負って歩んでいたから
周囲にクリスチャンと告げるのが恥ずかしかった。
でも教会に行って、毎週せっせと汚い心の中を掃除してもらっていた。
通い続けている間に
私がどんなに沢山の恵みの中ですごしているのか分かるようになってきた。
でも教会で毎週あんなに掃除し続けたのに、ますます私の心の中は黒ずんでいった!
なかなか落ちない頑固汚れだな~と思っていたのは私の心の本来の色でした。
薄暗い光の下ではよく分からなかった心の黒ずみが
神様のまぶしい光に照らされてドンドン明らかになってしまったのです。
は、はずかしい!
もしかして、罪だらけじゃないの????
それからは、ずっと神様の優しく明るい光の下にいたいと思うようになりました。
心に罪があると、磁石のように
心が罪に引き寄せられます。
罪を掃除していって、燃えないごみの日に出して
心を「正しいこと」で埋めるように努力したら
「正しいこと」に引き寄せられるようになる。
「かなり無理してるんでしょ~?」とかはない。
「悪いことしたな~」って後悔したり、自分の得ばかりを追求することのほうが、
めんどくさいし疲れます。
と、私は思います。
明るみにいることを体験したら、後に戻れなくなりました。
楽しいのです。
私には限界があるので、
私を創ってくれた方に全面的にお任せするほうが楽です。
今ではもう、この事を言わずにはいられなくなりました…「私はキリスト教徒です!」
少しはパウロの気持ちが分かるような。 嬉しい。
キリスト教徒でも、相変わらず山あり谷ありの普通の日々です。
が、神様と共に歩める事が幸せ。
迷ったり、落ち込んでも神様が道を示してくださいます。
希望が与えられます。そして、どんな事からも神様の愛が学べて、
生かされていることが奇跡だし、感謝です。
まさに愛の中を歩んでる気持ちです。
そのおかげで神様の創造された
天、地、海、自然、動物…花の、「完全で完璧に美しい」ことに感動。
分かっていたけど、こんなにまで美しかったの???みたいな感じです。
かつては怒りん坊だった私が(この顔で)、
今は余裕のよっちゃんでいられることが多いです。
心にポカポカと平安を連れて歩けているのが感じられます。
これからも、神様に習うものとして神様に愛されて歩みます。
エペソ人への手紙5章1節から2節途中まで(口語訳)
パウロさんからの手紙。
新約聖書の多くの手紙は彼からキリスト教徒に送られたもの。
パウロさんは 熱狂的なキリスト迫害者だった。
ある時点から、熱狂的なキリスト教の応援団長に。
辛い所を通ってきたパウロさんだから、言葉には説得力があるな~。
「神に愛されている」…この事を、実感できるまでに私は長いことかかった。
私だってかつては、神様とか宗教とかって言葉が馴染めなかった。
ニュースで見る宗教団体に良い印象がなかったから。
「怪しいな。怖いな。マインドコントロールされるのでは?」
と思って近づかないように注意していた。
今となっては、自分の判断の基準があやふやだったから しょうがないと思う。
そんなこんなで、その後、色んなところ通らされた結果は…
(すごい短縮しちゃった)
ある日曜日の朝、教会の中にいて賛美歌を歌って涙を流す私がつくられていた。
雲がかかったグレーの視界から、光の中に出れたような感触。
涙がとまらない。
きっと、自分ひとりの力で生きるのに疲れ果てていたのでした。
神様に「もう、頑張らないでいいんだよ」言われた気がしてホッとしたのだと思う。
とても心に平安があり、優しさを感じ、愛を感じました。
今から4年ほど前の事。
「いよいよ私も宗教にすがってしまった。 誰にもいえない。はずかしい」
なんて言葉が心の中に大きく渦巻いていた。
だって私がその時まで、宗教に抱いていた悪いイメージがあったから。
かつてのパウロのように、「キリスト教大反対」を背負って歩んでいたから
周囲にクリスチャンと告げるのが恥ずかしかった。
でも教会に行って、毎週せっせと汚い心の中を掃除してもらっていた。
通い続けている間に
私がどんなに沢山の恵みの中ですごしているのか分かるようになってきた。
でも教会で毎週あんなに掃除し続けたのに、ますます私の心の中は黒ずんでいった!
なかなか落ちない頑固汚れだな~と思っていたのは私の心の本来の色でした。
薄暗い光の下ではよく分からなかった心の黒ずみが
神様のまぶしい光に照らされてドンドン明らかになってしまったのです。
は、はずかしい!
もしかして、罪だらけじゃないの????
それからは、ずっと神様の優しく明るい光の下にいたいと思うようになりました。
心に罪があると、磁石のように
心が罪に引き寄せられます。
罪を掃除していって、燃えないごみの日に出して
心を「正しいこと」で埋めるように努力したら
「正しいこと」に引き寄せられるようになる。
「かなり無理してるんでしょ~?」とかはない。
「悪いことしたな~」って後悔したり、自分の得ばかりを追求することのほうが、
めんどくさいし疲れます。
と、私は思います。
明るみにいることを体験したら、後に戻れなくなりました。
楽しいのです。
私には限界があるので、
私を創ってくれた方に全面的にお任せするほうが楽です。
今ではもう、この事を言わずにはいられなくなりました…「私はキリスト教徒です!」
少しはパウロの気持ちが分かるような。 嬉しい。
キリスト教徒でも、相変わらず山あり谷ありの普通の日々です。
が、神様と共に歩める事が幸せ。
迷ったり、落ち込んでも神様が道を示してくださいます。
希望が与えられます。そして、どんな事からも神様の愛が学べて、
生かされていることが奇跡だし、感謝です。
まさに愛の中を歩んでる気持ちです。
そのおかげで神様の創造された
天、地、海、自然、動物…花の、「完全で完璧に美しい」ことに感動。
分かっていたけど、こんなにまで美しかったの???みたいな感じです。
かつては怒りん坊だった私が(この顔で)、
今は余裕のよっちゃんでいられることが多いです。
心にポカポカと平安を連れて歩けているのが感じられます。
これからも、神様に習うものとして神様に愛されて歩みます。
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プロフィール
HN:
ジェニ
年齢:
50
性別:
女性
誕生日:
1974/01/11
職業:
事務職です
趣味:
犬、音楽を聴く、お笑い番組を見る
自己紹介:
イエス様と聖書が大好きです。。
他に好きなものは音楽とヨーロッパと洋服。
現在http://ameblo.jp/kopa1tutu2/で、出産とわが子についてのブログを更新しています。そちらもこちらも共々、よろしくです~。
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