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わが助けは天と地を造られた主から来る。(詩篇121篇) 
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「あなたの目は身体のあかりである。

あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、

目が悪ければ、身体も暗い。

だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。」

ルカによる福音書11章34節、35節


神様を信じてから変わったことは何だろうと、最近考えていた。
神様を信じなくてもいい生活があるのに、
わざわざ 
教会に行ったり、聖書を読んだり、聖書に関係した本やテレビを見たいと思ったり、
家族や友人、知人とイエス様の話しや聖書の話などをしたいと思ったり、
キリスト教に関しての講演会があれば 飛んで行きたいと思ったり…

どうしてなんだろう。 と考えてみた。
どの時点でイエス様を 神様として確信したのだろう。と 思い返してみた。

う~ん。。。。

確か、5年前までは 全く信じていなかったはずだ。
しかも、宗教全般に 「怪しい」と思っていたのに。

う~ん。。。

はっきり覚えていることで、それまで経験したことのない体験をしたのは
ある日、朝の教会の礼拝で、賛美歌を歌って 涙がとまらなかった事。
その時まで、一度も、賛美歌で泣いたことがなければ
礼拝で泣いたことがなかった。

なのに、その時期は何週にも渡って礼拝中に涙を流していた。
自分でも分けが分からなかった。
ただ、ただ、賛美歌の詩と 歌っている人たちの背中を見て感動していた。
それまでの、疲れも重荷も 取れていくような感覚。

その頃までの私は、今に比べて
意地悪で 視野が狭く、人の批判ばかりしていて
「負けたくない」という意地の固まりでした。
手に入れたいことは、必ず成し遂げたいといつも 踏ん張っていた。

あの頃に夢見ていたことは ほとんど手に入れて
「結婚」に夢はもっていなくて
「子供」嫌いだったので
それから先の夢がまったくない状態でした。

夢がなくて、自己中な私は とても辛くなっていきました。
怒りがコントロールできなくて、
世の中が馬鹿らしく感じていました。
もう、最悪でした。

何を手に入れても、本当の希望と愛がなければ 人生は虚しいだけです。

あの礼拝の涙の瞬間、誰に教えられたわけでもないのに
「私はこれを求めていたんだ」
「もう大丈夫だ」 という思いが 心の中を木霊していました。
不思議な体験でした。


そんなこんなで、それから5年ほどたちます。
未熟者のキリスト者ではありますが 
神様から離れたいと思う生活を送らずに、ここまでようやく辿り着きました。

冒頭の聖句は、聖書につながった人なら度々思わされる言葉だと思います。
私の解釈は単純です。 
無意識でも聖書から離れた生活を送ってしまうと
前向きでなくなったり、良い考え方が出来なくなったり、
自分の思いで行動してしまうので 無理して疲れやすくなる。
だから日々を暗くしないように、聖書につながっていなさい。
人生を明るくするために、聖書につながっていなさい。

聖書を読むと 心に平安が来て、落ち着きを取り戻せます。
既に受け取っている恵みに気づかされるので、
感謝が来て、前向きになれます。
キリスト者になった日々は、それの繰り返しです。

私が一番変わったことは、心の中の「全知全能の神様」というより所です。
沢山励まされたし、世の中で勝つことや物を手に入れることが幸せではなくて
日々の生活の なんでもない全てが 感謝してもしきれないほどの
幸せが詰まった贈り物だと 教えられました。

無理せずに、自分らしく。
与えられた人生を 楽しんで感謝して生きることが
神様への恩がえし。
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プロフィール
HN:
ジェニ
年齢:
50
性別:
女性
誕生日:
1974/01/11
職業:
事務職です
趣味:
犬、音楽を聴く、お笑い番組を見る
自己紹介:
イエス様と聖書が大好きです。。
他に好きなものは音楽とヨーロッパと洋服。

現在http://ameblo.jp/kopa1tutu2/で、出産とわが子についてのブログを更新しています。そちらもこちらも共々、よろしくです~。

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