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わが助けは天と地を造られた主から来る。(詩篇121篇) 
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あれよ あれよと始まったブログも、なんとなく形になってます?
文章力はないけれど、思い込みの激しさは人一倍あるみたいで 書き始めると「と、止まらない!!」現象に陥っていました。。いらない部分や、意味不明の箇所、勘違い…多々あると思いますが お許しを。

最後ぐらい、スカッと爽やかに締めくくりたいです。
風邪の最中で部屋の中、マフラーをしながら猫背でパソコン中~。
 「NO年越しソバ」で今、私は最高に地味です。 

コパンの耳をかじってみました。 (くわえただけですよ。)
何の反応もありません。
見た目、チョコ煎餅に似ているような。

お腹が空いてきました。 

ではでは、2008年で!
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またもや、風邪&腸炎になっている私です。熱まで出ちゃっています。
2007年のしめくくりの12月は、まさかこんな風に幕を閉じようとは。。。

そうそう、去年の今頃まさか実家を売りに出しているとは夢にも思いませんでした。 しかも、年内に売れてしまって 買主からはソフトに「退去」を迫られています。 沢山悩んだ末の結果なので、売ったことに後悔はなくて「♪」むしろ音符マークがフワフワしています。 神様が共に歩んでいると、感じているからでしょう。

「絶えられない重荷は負わせない。必ず逃げ道を用意してくださる」 神様に全てを任せて歩めたので、これから先の事も安心してお任せいたします。 自分ひとりでは背負ったりしません。

わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。私はあなたを癒す。  第二列王20:5

神様、優しいっすね…(;-;)

家族はこれから、仮住まいのアパートを借りて次のステップへと進みます。 犬が二匹いるのですが幸いにも私の住んでいるアパートが「ペットOK」なのでしばらくの間、ここに引き取ることに。(?) ってゆうことは、四匹の犬を飼うことになるのです。。。賑やかになります☆

最近寒いので、コパンとトゥトゥに洋服を着せるのですがトゥトゥが慣れてなくてすぐに脱いでしまう。 その割には、ブルブル震えているので何度も着せます。 慣れるまで根気良く。 トゥトゥにとっては、服を着るなんて嫌なこと。 彼女にとっては数少ない試練の一つだと思います。 でも、親の私はそれがトゥトゥに必要なことだとしっているので、彼女の為に忍耐を持って教えていかなければなりません。 神様が私達に向けられている愛は、ちょうどこんなものだと思いました。

私達が分かるまで、自分の良い習慣にするまで、根気強く経験や試練を通して必要なことを教えているのですね。 知らないときは「なんで私にこんなことが」って思うだけですが、それを感謝して受けるときに神様が教えたかったことが分かるようになるのです。

30歳になる手前に、鬱になりました。 その時は、ただ苦しくて日々を生きているのが辛かったです。 その頃はまだ、鬱の知識が一般的に浅いときで 私自身も鬱になっていることに気がつかずに一年くらい経過していました。 雅子様の適応障害に関するテレビ番組を見て初めて、私に起こっていることが欝だと判り、同時期に頭に出来ていた円形脱毛で「私、疲れているんだ」と知ったのでした。

渦中にいるときは、生きていたくないと真剣に思っていました。 何もかもが不安で、滑稽で、無意味に思えて…恐怖心と共にいつも過ごしていましたから友達と約束も出来ず、かといって、本も読めず、テレビも見ることが出来なくて 独り言をブツブツ言いながら机の周りを回っていたこともありました。

渦中にいるときは、「どうして私がこんな目にあったのだろう。 どうして皆、馬鹿らしい世の中を生き抜いていこうと思うんだろう。」って思い続けていたのを覚えています。。。淀みの中、抜け出せなくてもがいていました。 でも、「鬱だよ」って言われて同時期に神様の言葉に触れた時、奇跡的な回復力が与えられました。

復活してからは、鬱になって良かったと心から思いました。 それは、長年うつ病で苦しんでいた妹の気持ちを分かる事が出来たからです。 それまでは、どうしていいか分からないので心療内科に通う妹をそのままにしていました。 病院で治るとしか、思っていなかったので。 でも、自分が鬱という気持ちを体験したことで 彼女の痛みが同じように判ることが出来たのです。 

神様の御計画の中に置かれていたのを感じたのは随分と時間が経ってからなのですが、それからはどんなことにも神様の最善が用意されているんだと期待できる強さが生まれました。

再び教会に通うきっかけになったのは妹のおかげです。 でも、心療内科に通わずに彼女の鬱を克服することが出来たのは 私に鬱を経験させてくれた神様と、苦しいときに祈りあうことを教えてくれた神様でした。。。誰かが、「心は心でしか治せない」と言った言葉が心に木霊しています。

もし、私が鬱になっていなかったら 彼女はどうやって克服できたでしょうか。 

もし、妹が教会に誘わなければ、私自身の鬱の克服も難しかったでしょう。

人間は一人では生きていない事、神様に命を与えられて生かされている事、希望も愛も神様から与えられていることを私達は学ぶために生まれてきたのだと思いました。
今年もあと一日!

に~っと笑顔で2007年にお別れしましょう!!!


昨日、2泊3日の東京旅行から帰ってきました。
3日間歩きっぱなしの旅。日ごろの運動不足がたたり、昨日の帰りの飛行機内で背中に冷たい痛みが走るようになり、湯船に入る気力もなかったのでそのまま眠ったら明け方に体中が痛くなり動かなくなりました。 それで今日は朝の5時に湯船に入ってました。 今日、仕事を休みとってて本当に良かったです~。

東京に行くと「虚無」をいつも感じます。 華やかで、人には活気があって街も綺麗で…。 あの中で、流行の情報や虚栄心に流されず生きるのは並大抵のことではないと思います。 皆、ほんとうに幸せそうでした。 生き生きしていました。 流行の最先端の街に似合う人々たちと多くすれ違いました。。「怖いもの無し!」って感じです。 うらやましいくらい。  でも、さすがに、田舎暮らしの私は3日でギブアップです。 脳が疲れてしまいます。それに、東京に行くと神様が見えなくなります。 何故だろう。。。

いつも東京旅行では日曜を挟むことが多いので、必ず宿付近の教会に礼拝に行きます。
他の地方への旅行でも必ず礼拝に行きます。 不思議と東京で礼拝に行くと、いつも涙が出てきます。
キリスト教書店にも行くのですが、書店内でまた号泣です。鼻水もたらします。
沖縄ではこんな風に教会で泣くなんて、ほとんどありません。
旅行で疲れているのだと思いますが…他県への旅行での礼拝は泣いたことがありません。

今回の旅で初めて、渋谷あたりの交差点でキリスト教の人たちが(どういった教派なのかは知りませんが)通行人に向けてキリストの愛を伝えている活動をしているのを見ました。 マイクでかなりの大声で「あなたの罪の為にキリストが死なれた」、「神様はあなたを愛している。あなたの中にある罪を認めなさい」、「あなたは罪びとです。」と通行人に向けて言っていました。

正直な気持ち、良い印象は受けませんでした。 「?」でした。 しかも誰も聞いている様子はありませんでした。 あの人たちはキリストの愛を伝えたいので、一生懸命伝道しているのです。それは凄いと思います。きっと、良く思わない人たちもいるはずです。罵声を浴びせる人もいるでしょう。寒い中、一生懸命「あなたは罪びと」と繰り返していました。「罪があることを認めなければ、地獄に落ちる」と大きく掲げられたプラカードには太い文字で書かれていました。

東京ですれ違う沢山の人たちは、一見華やかに見えても 実際は色んな事情を抱えている人が多いのだと思います。 だから東京の様な夢の街にいて、自分の可能性を探していたり きらびやかな中で日々の不安や重荷、虚しさを忘れられるのだと思います。 都心には圧倒的に若者が多く、ちょっとはずれた所の住宅街では年配の方や、大変そうな家や人を見ることが多いです。

私も若く、がむしゃらに生きていた頃 色々な出来事があっても 自分を信じて自分の中に解決策を見出そうと努力しました。 マイナス思考に走ったり、落ち込み気味のテンションになっても好きな音楽を聴いたり 良い本を読んで 「よ~っし!前進あるのみだ!!」って…打たれても タダでは起きないぞと、意気込んでいました。
今の若い人たちはどうでしょうか。(私が若くないみたいな言い方???プンプン)

きっと、向上心があり ダークな世界にはあまり目を向けないように努力し、弱音を吐かず、弱みを見せず、いつも明るく面白い…って「理想の自分像」の中にいる努力をしていると思います。 日々を生きるのに精一杯で忙しい人たちに 「罪を認めないと 地獄がまっている」と言っても現実味がない、必要を感じさせない言葉だと思ます。 

わたしが「神様に一生、ついていく!」と決心したのは 聖書の言葉に平安と平穏を見出せた時でした。 優しい光に包まれたような中で、「罪深いあなただけど、私はあなたを愛している」と神様に言われたときでした。 きっと、帰る家が怖い家だと遠回りしたり道草したり…帰りたくないと思ったりします。 帰る家に「ああしなさい、こうしなさい」と口うるさく言う家族がいると笑顔が消えるでしょう。。。しかも、「あなたは罪があるから、このままだと地獄に落ちるよ」と言われたら これから先、心から喜んで生きることは難しくなります。

罪と地獄は、人間が判断することではないと思います。 神様が判断することです。 全く罪を犯さないで生きることは無理です。 不器用な弱い人間を、神様は愛しています。 聖書に書かれている「真理は自由を得させる」という言葉が大好きです。 聖書と神に触れることで、恐怖心を植えつけられて日常の生活ができなくなったりするのは神様が望んでいることではないと感じます。 私の場合、神様に本当の意味で出会ってからは 気持ちが自由になり「中途半端で取り柄のない、こんな私でもいいんだ」と安心しました。
 
心に平安があると、自然に罪が見えてきます。。。日々の恵みを知り感謝の気持ちが溢れると、神様にすべきことは生かして守ってくださったことへの恩返しであって、罪ではないと自然に思ってきます。 聖書で言う罪とは奥深いものがありますから、自分で意識して回避できるものと出来ないものがあります。 だから、まだ聖書の神様に触れていない人に 始めに罪の話はすべきではないと思います。

神様に出会ってから、一番良かったなと心から思うことは「人の為に祈る時」、「希望が持てる時」と「ゆだねて歩める時」です。 「罪が判ったから、悔い改めたから地獄に行かなくて済む!」と考えて嬉しかったことは一度もありません。。。 

沢山の人たちが神様の愛に気づいて幸せな気持ちになるように祈ること、愛と優しさをもって神様を表すことがクリスチャンの役目だと思います。


こんばんは。
胃腸炎も終盤に迫り、いそいそとパソコンに向かう私です。
昨日までの胃のむかつきが 嘘のような今日の回復ぶり☆ 

神様が酵素を買うように妹を用いて導いてくださったので、土曜日から酵素を食べています。
胃にいいらしいのです。奇跡的な回復力です。
私の食べている酵素はミルクのような粉状のもので、甘くて美味しくて、それでいて身体にいい…お薦めです☆
でも、注意しないと器官に入りそうになって ゲホゲホします。

この話をしたら、旦那様は彼の薦めた梅干が良かったんだと主張しているので
梅干と酵素のダブルで胃炎をブロックしたと 思います。

今年もさまざまな事がありました。
たかが12ヶ月、されど12ヶ月。

2007年フィナーレを飾ったのは実家の売却でした。
私が結婚してから、それまでも不安要素であった実家の維持管理費が 母だけの力ではどうにもいかず…
また、母の経営している美容室も利益を出せない状態になったので
美容室の改装を自分達の力でやってみたのですが、最善を尽くしても結果は改善せず。
9月に入ったあたりから、これから進むべき道を示してくださいと神様に祈っていました。

17年も住み慣れた実家を売るのは寂しいのですが、
私達もいずれは家を建てるだろうし、今後の事を考えても、いや、20年後までのことを自分の想像力の範囲で考えても 今から母と一緒に住むことが お互いにベストだと思い
家族会議を開き、「実家を売る」ことに全会一致で可決したのでありました。(3名しかいないですけど) 

神様が良しと思う時に、私達に家の売却に関してやるべきこと事を行わせてください。
と家族で祈り始めました。
それからは、毎週末家の清掃と修繕とペンキ塗りに追われました。
祈って、神様に委ねているので 計画が進むと全てが用意されたように早く作業が進み、
雨や病気で何も出来ないときは、焦らずに休むことが出来ました。

神様の用意された時に委ねることが 最善と知っているから
自分の思いで 無理に進めることがあれば すぐに心に平安がなくなり
不安だらけになってしまうことも 知っているから
祈りながら進んだこの3ヶ月は、まさに、御手の中にいるような…大変だけど 安心のある、楽しい日々でした。

みんなで掃除をしながら、「この家に感謝を返そうね」と母が言い、
これからこの家に住む家族に、喜びと平安の中で祝福されて過ごせるようにと神様に祈りました。


先週、広告を出したところ
沢山の家族が見に来てくださり、そのうちの3家族が購入したいと申し出てきました。
売れるのか…不安でしたが、こんなに早く決まるのは驚きでした。

一日経って、嬉しいのだけど…やっぱり寂しい気持ちになりました。
神様の導きに感謝。
大切に住んでくれる家族に決まるように…と思いました。

次に住む家の事を考えると…やっぱり不安と寂しい気持ちが入り混じった 複雑な心境に。
その時に与えられた御言葉が

第2コリント8章10節
「それはあなたがたの益になることだからです」

そして、それに続くメッセージが
「手放すように感じることも、本当はあなたの益になるためなのかもしれない。 順調にいかないように思える状況も、実はあなたの益になるための過程なのかもしれない。 今すぐには分からない事も 必ず意味があり、後々わかるようになる。」(やすらぎの言の葉No1482より)

とありました。 不安になった時に携帯のメールに配信されたメッセージ。 
部屋のどこかに、神様の隠しカメラがあるのかキョロキョロしたくなるタイミングでした。
いつもそう。
神様に常に頼り、話しかけ 対話すると
私のアンテナが神様のメッセージに対して3本立つようになる。 送受信が早くなる。
こうして、あのメッセージのように必要を与えて 私を慰めてくださる。

この世を創られた偉大な方を見方につけたような
とても心強い気持ちになって
感謝と共に、どんな山も乗り越える力が湧いてくる。

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神様のどんな計画が、これから用意されているのか楽しみです♪

こんにちは。
今日も相変わらず胃腸炎の一般市民です。

安静にしてます。
教会に行けないのでBBN聖書放送を聴いて祈りました。
神様からのメッセージを受け取らないと、落ち着かない私にしてくださって感謝します。
教会に行くことを習慣とさせてくださって、ありがとうございます。
自分の弱さと罪とを判らせて下さって、ありがとうございます。

過ぎた一週間も 罪を犯しましたよ。
胃腸炎という口実に乗っかってみますが、体が不調だったり気持ちに余裕がないと人のやることに簡単に怒ってしまうことが多くなります。
冷たく電話口で応対された時、レジでぶっきらぼうにお金を渡された時、誘導員が誘導しないために駐車場で大渋滞を作ってしまった時、油断してたら意外とカッコいい人が薬局の会計にいたり…と、そんな時心に平安がなくなりました。 
でも、神様に祈って許してもらいます。
そして、反省して次に前進あるのみです!

神様を知らない昔は、罪を犯しても監視員が自分自身だったので 許してもらうことなく反省会だけを開いてました。
だから、いつまでも引きずってましたし、人の罪を発見した時には「絶対に、ゆ、る、さ、ん!」と、悪循環の中にいたのでした。
今なら、「私も間違えます。だから、あの人も間違うことはあるでしょう!」って思えるし
神様が許してくれるから、私も許すことが出来るし、自分のやった事も許して忘れることができます。

体の不調は罪からくると解説する人たちもいますし、そういった書物もいくつか読んだことがあります。
でも、私達が判らないといけないのは、人間はもともと全員が罪人だということです。
善人は一人もいないと聖書には書いてあります。
私が完璧な善人なら、この世に生まれてくる必要はなかったでしょうね!

イエス様は義人で罪がなかったから、十字架につけられました~。。。罪びとの私達に殺されたのです。 3日後によみがえられたのは、神の子だと証明するためです。 あのまま、よみがえらなかったら 「キューリー婦人」や「ガンジー」さん達のように 「こんな偉人がいた」という感じで伝記が出版されていたのでしょうね!
もしも、十字架につけられないで「病死」だったらこれまた「偉人の伝記」コースをたどっていたでしょう。

しかも、イエス様の生まれた場所は馬小屋です。
あの、お世辞にも綺麗とはいえない場所にイエス様は生まれたのです。
通常、「神の子」と言われる人物の登場の初シーンに選ぶなら 宮殿の黄金の寝室でスポットライトなんかを浴びながらパチパチ拍手喝采で生まれてきそうなのに。
でも、くっさい、くっさい馬小屋だったのです。
そんなくっさい、くっさい、馬小屋で生まれた、子供を 神の子って誰が認めるのでしょうか。
現代に置き換えても、想像ができません。
イエス様は死ぬときも、体一つ 金銀財宝は一切持っていませんでした。
王らしくない死に方です。 それは人間の知恵ではとても想像できない 神の子だから出来たことで、イエス様は神の国をこの世で実践したのです。


話はもどりまして…

体の不調になった時には、健康でいては感じることが出来ない思いを知ることが出来る機会になります。
私は小さい頃から病気がちで小児喘息が続き、治った頃には月経困難症と診断され 毎月激痛がくる20年近くを過ごしました。 激痛の中、いつも思わされたのが 癌患者の苦しみや、抜け出せない貧困の国にいて激しい痛みの中でもがいている人々が現実にいること。 私のこの一日程度の痛みはそれらとは比にならないことを確認し続けました。 人の痛みが判ってよかったと、病気から学ぶことは多かったです。

最近、忙しすぎて無理したところでなってしまった胃腸炎。
病気になることで、見逃している身近なことや 家で落ち着いてしなければならないことをするように言われている気がします。
いつもは教会にいってパタパタと過ごす日曜の午後も、こうしてBBN聖書放送を聴く恵みが与えられて イエスさまの十字架を思いなおす機会が与えられました。

ストレスからくるのが病気。
病気になって安静になることで、ストレスとされることから遠ざかることが出来る 神様から与えられた一つの恵みだと思います。 
それに、病気になると家族の絆が強くなる気がします。
神様から与えられたものは 全て感謝で受け取れる 精神の強さを聖書の御言葉によってこれからも鍛えられたいです。


(病気の程度にもよるので…、厳しい状況にいる方達のために神様から与えられた別の意味の恵みもある。と付け加えたいです。)




今週は病気になっていました。
胃が痛むのです。 お腹もゆるくなってます。
先ほど病院に行ったら「胃腸炎」と診断されました。

胃が痛むだけで、考えることがおっくうになり
仕事も集中したいのに、したとたん 「キリキリ」と痛み出して仕事になりませんでした。
痛みにも波があるので、嘘のように痛みが消えると
人生って素晴らしい♪
って思えて、いつもの倍 張りきりモードに突入。
でも、次の瞬間、すぐに胃が痛み出して 「眉間にシワ」状態でいたのでした。

言い訳ではありませんが、聖書も読めませんでした。
文字を追う事が出来ませんでした。
人間って頭だけではなく、胃と腸で物を考えているんだなって実感でした。
文章を読み始めると、同時に「キリキリ」胃が痛むのです。

病気っていいですね。
大病になると、ほんと、そんなことは言えませんが。
でも、私みたいな感謝を忘れっぽい人間には、こういった小さな病になって いつもがどれだけ幸せなのか知る事が良い場合があります。
普段、何気なくしていること…たとえば、仕事をこなすという事、考えるという事、聖書を好きなときに読む事、痛みが身体にないこと、美味しくご飯が食べれること…健康って本当に幸せ。 
胃腸炎になって、苦しいけど なって良かった。 
神様からのクリスマスプレゼント。

聖書の中で、イエス様が病に苦しむ人々を癒される場面が多々ある。
長年わずらった、誰もが見放した病の人々を癒すのだ。
でも、イエス様は決して「私が治してやった」とは言わない。
そこが素晴らしい!
「あなたの信仰が、あなたの病を治した」と言うのです(; ;)
自らの力で、病を克服したんだよ!という言い方で励ます。

私が病人だったら…そんな風に言われたら、どんなに嬉しいでしょう。
自分の病気が治った上に、自分にはそれを乗り越える力があるんだ!って もう、嬉しくて、この先も生きていく力と希望とが生まれるだろう。

もしも、イエス様が病人に 「また病気になったら、いつでも いらっしゃ~い!」って言ってたら
きっと聖書は旧約で終わりだったでしょう。
そこからも、イエス様がそんじょそこらの ミラクルピーポー達とは違うところです。
お金も徴収しませんし!

人々に旧約聖書を説いて、愛を伝えて、病を無料で治して、「私は神の子」と当時では自殺行為の発言をして、
最終的には叩かれて十字架につけられた…自分の特になることは一切望まずに生きた33年間。
私がイエス様の友達だったら、「もうちょっと、自分の為にも生きろよ~!」ってアドバイスしてたはず。
イエス様が自己犠牲の究極の愛を残してくれたから、
世界中に国籍、性別、年齢関係なく人生を救われた気持ちの人々が多くいる…

って、胃腸炎の話からどうやったら「自己犠牲の究極の愛」に展開したのでしょう。
タイトルと内容も一致しておりません。

あ、胃が…あいたたた。


今日は月曜日。 朝から雨がふり、北風ピープー…どよーんと曇りのくらい天気です。

夕方六時はコパンとトゥトゥのディナータイム。
今夜のメニューは、ビーフ缶中心の味付けになっております。

二匹に餌をあげて、隣の部屋で作業をしてたら
コパンの妙な鳴き声が。
こっそり、覗いて見ると
トゥトゥがコパンの餌を美味しそうに食べていた。

私が「どうしてコパンの食べるの?」と話しかけると、トゥトゥは一目散に自分の餌場へ。
鳴いているだけで、トゥトゥに攻撃しないコパンに 私は「はてな?」マーク。
逆パターンもあるので、この子達のやってることの意味を理解できたらなって思います。

せっかく作った餌を二匹とも食べないときがあります。
私が片付けようとすると、二匹とも「やめて~」と言っているみたいに 追いかけてきて私の足に両前足を乗せて来るのです。 でも餌の皿を置くと、一目散に遠くに逃げて行く。
ちょっとイライラした私、

「一体全体、どういうことなんですか~?!」

二匹に向かって、金八先生見たいに言ってみる。
当然、二匹とも キョトンとした顔で私を見る。

そんな時、いつも「イエス様ならどうしただろう」と考える。

弟子達といた嵐の船の上の時の様に 落ち着いて動じずに、
餌の皿をゆっくり置いて、ソファーに寝転んで二匹が食べるのを天のお父様に任せるのだろう。
金八先生になった私に、「信仰がたりないのです」と言ったかもしれない。

そういえば、土曜日に二匹を連れて散歩に行った時
帰りの車でトゥトゥが助手席の窓から飛び降り、車中につないだリードに引っ張られて首をつった状態になった。 

運転していた私は、驚いて車を止めて非常点滅灯をつけたが からまるコパンのリードとシートベルトをどうしていいか分からずに、手が震えた。
車外ではトゥトゥが首をつったまま、「クーン」と小さく鳴いている。
「何が『クーン』じゃ!」とか、心で思いながら必死で救出作戦を展開した。

その後、無事トゥトゥを保護。
汚い水溜りにも落ちて、散々な目にあったトゥトゥ (ハゲも3つあるし)なのですが
無事だったので、とても嬉しくて 抱きしめました。
親心が芽生えたのか、「ごめんね」と謝っている私。
神様に感謝したのでした。

イエス様だったらこの時、どうしたでしょう。

どんな状況でも焦らずに、車のシートを倒してトゥトゥが静かになるのを待つ…か、もしくは
放蕩息子をむかえる主人のように 無事だったトゥトゥをアパートに帰って盛大にもてなしたかもしれません。  
(前者は冗談です)

聖書に触れるようになってから、特に
誰が生んだか分からないようなトゥトゥの事も、子供のように愛おしく思います。
どんな生命も愛らしい個性を持って生まれてきて、愛されるためだけに存在しているんだなと不器用なトゥトゥを見ると感じます。 
人は愛すると幸せになるので、動物や植物は 人に無償の愛を与えてくれる神様からのプレゼントなのだと思います。

生まれてきてくれて、私達に飼われてくれて 本当に感謝しています。
いつも笑顔でいれるのは、理解ある旦那様と この二匹のおかげです。

今日の礼拝では、イザヤ書を通してのメッセージでした。
11章の1節から5節まで。
本日の牧師の声にはいつも以上に力がありました。 
中でも心に残った言葉は「私達が礼拝に来ているのは無意識ではない」でした。 

小さい頃は 「なんとなく行きたくて」教会に行っていました。
牧師の説教の意味が理解できずに、礼拝中は睡魔との闘いでした。 
それでも行きたいと思って毎週参加していたのが とても不思議です。
その状態は、ここ最近まで続いていました。
行かなければ済むはずなのに、足は自然に向かっていました。 

今日の礼拝のこの言葉に答えがありました。

他では得られない平安が、教会にあることを 
魂の部分ではすでに感じて 知っていたのでしょう。


ここ3ヶ月の間、色々ありまして、実家を売却することになりました。
今日は不動産やさんが、室内の写真を撮りに来ていました。
いよいよ この家が広告に載るのです。

ペンキを塗ったり、掃除をしたり、いらないものを処分したりと
売却に向けて本格的な掃除を毎週のようにやってきました。
掃除をしながら、この18年間すごした家での時を振り返ってみて
今となっては全てが感謝です。

昨日、掃除中に私の小物を入れている箱を開けたら
「なつかしー!」
ルルの写真が出てきました。

写真はきちんと額に入れてあって、大切に包まれて保管されていました。
ルルはこの家で10年ほど飼っていた猫です。
家を建てた時に、前の家から一緒に引っ越してきました。

室内で飼ってたので寝るときも、食べるときも
何をするときも一緒でした。
バイトで遅くなっても私が帰ってくるまで起きていたし、
私が落ち込んでいるときも、すりよってきて慰めてくれました。

ほんとに大好きでした。

昨日は不思議と、家を売る準備をしている最中に
ルルの写真を見つけたので 妹に見せて二人で思い出話しになったのでした。
で、ルルの最後の日の話になったところで
不思議な気持ちになりました。

10年前だったと思います。
ある夜、隣に住んでいる従姉が 「ルルが車にひかれてるよ!!」と心配そうに言いに来ていました。
走って道路に出ると、目の前に、我が愛猫の車にひかれた姿が。
手が震えました。
「とうとう、この日が来てしまった」
袋を持ってきて、ルルの亡き骸をいれました。
顔を見たかったのですが、つぶれていて確認できず…でも体の模様は確かにルルでした。

時々、外に出していたのを悔やみました。
心が潰れそうな思いでその夜は眠りました。

朝になりました。
庭を見ると、ルルが「ニャー」と来ていたのです。
「あれ~??? 生きていたんだ~!!!」と嬉しくてルルを抱きしめました。
お腹が空いてるのだろうと、餌をあげました。
安心しましたが、その1週間内に、すぐにルルを見かけなくなりました。

あげた餌も食べられていなかったので、体調が悪いのかな?と思っただけでした。
でも、それからはずっと帰ってきませんでした。

いつの間にか、「もしかしたら…」と思い始めていました。
探すことはせずに、「餌をもらう家を変えた」と思うことにしました。


昨日、この話を妹にしている途中で
車にひかれたのは本当にルルだったかもしれないという気持ちに。
ルルと思って道路でひかれた猫を
片付けてくれた事にお礼を言いに 翌朝、来ていたのかも。

昨日まで、「猫の死体を拾う事件&ルル失踪事件」がリンクするなんて考えたこともありませんでした。
眠る前に思い出して、涙が止まりませんでした。
ルルが失踪してから8年目にしてやっと、
本当の意味でルルとさよなら出来た気がします。

一緒に過ごした家を去ろうとする私達に、もう一度、思い出してほしかったのかな?
それは、ルルがそうしてほしいのではなく、
神様がそうしてほしいのだと思いました。

ルルの事を思い出したことで
更にコパンとトゥトゥの存在を 尊く思うのでした。
死というのは、生を輝かせるものなんだなと 改めて感じました。


昨日は朝から職場でストライキがありました。
不当な従業員の賃金引き下げに対してのものです。 
引き下げに関しては今回で3回目になると思います。
他にも2回ほど、ボーナスカットや繰り上がってO万円の徴収などが全員にありました。

前回は4時間のストライキ。 
参加しました。

でも、その後にいろんなことがありました。
同じように参加した人が、「僕だけは早めに切り上げたから、1時間は仕事したことにして」と、
1時間分の給料を自分だけもらおうとしたのです。
結局、そのように 申請しましたが、とても嫌なきもちでした。

みんな経済的にも大変なのに、4時間仕事を無給で休んで抗議の意を示した! 
なのに、自分だけですか?!!

組合員は毎月給料から安くはない組合費を払っています。
それは組合の執行員と従業員の給料として払っているつもりです。
その人たちが、頑張って私達の労働条件を守ってくれるからとの約束のつもりです。
自分に出来る形での協力の意味をこめています。

私達は組合費を払っているのに、組合の力では阻止は出来なかったから
今度は更に、無給の状況にもなっている…

仕事があるから、働ける。
日本は明らかに 厳しい経済状況。
郵便局も民営化したほど。
周囲は確実に変化している。 ここ2、3年の話ではないのです。
そのことをふまえて、よく考えないとナって思います。

だから昨日は出勤しました。
一回目のストでは「影響は少なかった」とのりポートを受けたことで判断しました。

「何名か出勤する人がいます」と上司に伝えた時、
ストライキを理解し、寛大にに受け入れていたと思っていた彼が一言
「ありがとう!助かった!」と言った事でした。
忙しい私の上司は、安心していた様子でした。
自分のやったことを、改めて振り返ることが出来ました。

案の定、出勤してよかったと思えたほど、昨日はとても忙しくて あっという間の一日でした。


聞いたのですが、職場のに入る門前でストライキのプラカードを持って立っている人たち(組合員)の一部に
出勤する同じ従業員に対して 罵声を浴びせる人たちがいたそうです。
「俺たちが、みんなのために頑張るからな!」 ではなく、
「裏切り者!」みたいな事を言ったそうです。
ひどいなと思いました!

皆、一人ひとり、立場も仕事も家庭の状況も違います。
なぜ、理解しないのでしょうか?
このストライキの人並みを、くぐり抜けて出勤するのはかなりの勇気がいります。
多くの人たちは「出勤してごめんなさい」という思いを持っていたと思います。
そう、せざるおえない状況にいる人たちの為に 
組合の人たちがいるのでは??

次のリポート次第では、
私もストライキにまた参加する選択をすると思います。
出勤した人を恨んだりはしません!
一人だけ1時間、得をしようとした人に怒ったのは 
その人が私達に「がんばろう」と言った張本人であり、組合の役員だったからです。


人間が多くなると、その多数決の力で、少数を押さえつけようとするのでしょう。
宗教もそうです。 
「神様を見上げる」といいながら、組織を形成してしまうと結局は人間の集まりなので、自分の経験や考え方で解釈した聖書観を植え付けあおうとすることが時々見られます。

私はキリスト教ですが、これまで会ったクリスチャンや牧師さんの中には
「クリスチャンでない人は駄目だ」と、心から言う人もいました。
悲しいです。
神様は、愛を知って欲しくて この世に私達を共存させています。

相手が何を信じていても、それを尊敬し愛することがイエス様の伝えたかった愛です。
クリスチャン以外の人たちを否定することは、イエス様の伝えたかった愛を歪めて伝えてしまうことです。
だからキリスト教は、日本ではなかなか広がらないのです。
「何をするにも愛がなければ、全ては無に等しい」とイエス様は言っています。

同じではない相手を押さえつける。 否定する。 そんな行為から、戦争が起こるのです。
自分の信念を 100%正しいと思ってはいけないと思います。
100%正しいのは 神様のみです。

イエス様の言葉。

マタイによる福音書5章44節~
「しかし、私はあなたがたに言う。敵を愛し、迫害するものの為に祈れ。こうして、天にいますあなた方の父の子となるためである。
天の父は、悪いものの上にも良いものの上にも、太陽を昇らせ、正しいものにも、正しくないものにも雨を降らして下さるからである。
あなたが、あなたを愛したものを愛したからと、なんの報いがあるだろうか。そのようなことは、収税人でもするではないか。
兄弟に挨拶したからとて、なんの優れた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。」

私も、自分の心から来た思いで腹立ってしまいました。
祈って許してもらおうと思います。


今日も 新しい朝を迎えることができました。
それを許してくださった神様に 感謝します。

この地球上に住む 沢山の人々が このように平和で平安な朝を迎えることが出来るわけではありません。
その中にいて、無事に夜を過ごす事ができました。
健康もあります。 感謝です。

この地球上に住む 沢山の人々が 全てを創造された主を知っているわけではありません。
どんな時も祈りを通して、あなたと対話することが出来るこの恵みを感謝します。
今日もまた、私が全ての選択を正しくすることが出来るように 助けてください。

そして私だけではなく、沢山の人々が(あなたが良しとする時に) この恵みを頂いているのだと知るように 今日も願い、祈ります。
もう、11月も終ろうとしてます。
沖縄も寒さが本格的になってきたので、さきほど今年はじめての電気ストーブを出しました。
コパンとトゥトゥは、まん前に陣取って スチームが「じゅ~」っと音を鳴らして出ている電気ストーブを不思議そうにじっ~と見ています。

先週、職場でストライキをしました。
第一回目、4時間のストライキ。
これからの給料が10%カットされるというのです。
これまでも5回ほど、実際にカットされてきました。
職場に来ないことで 「給与引き下げ反対」の意思表示をしようと、参加しました。

でも、終ってから 腑に落ちないと感じることが多くありました。
これから8時間のストライキを予定しているようなのですが、
私は通常通りに仕事することに決めました。

世の中には、本当に経済的に大変な人が沢山いる。
私達も大変だけど、生活の無駄を省く選択の余裕はある。
給料カットされたことで、そのお金が大変な部分に役立つと信じたい。

最近は、不必要なお金の使い方が明るみに出たり、
政治の世界などでの不正なお金が暴露されたり、
「頑張って税金を払って、馬鹿をみた」ような悔しい気持ちになった。
でも、そうではないんだと今回のストライキを通して判らされました。
この暴露事件は、おかしなお金の流れを止めるために起こった事であって(掃除したみたいな感じ?) ただ、私達国民を「政治不信にさせる」出来事なのではない。

私達のような一般市民こそ、豊かさに慣れすぎてしまった。
贅沢に暮らしている。
一度吸った甘い汁は、忘れられないのだ。

「清貧の思想」が今まさに、生きる時代なのだと思う。
少しのものを大事に頂く。
幸せは物ではない、お金ではないという事を私達は学ばないといけない。


聖書の言葉:

マタイによる福音書第6章19節~21節

「あなた方は自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝を蓄えてはならない。 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 あなたの宝のある所には、心もあるからである。」


私の贅沢な宝物は、神様から頂いた 御言葉や日々の恵み。
これまでに、今の職場から頂いた十分すぎる給料で
こうして電気ストーブの前でくつろいでいるコパンとトゥトゥに出会うことが出来た。
感謝しないと!!

もしも続けて、今までと同じように給料をもらえていたら
気がつかなかった日々の恵みが多かったはず。

季節ごとの服…という自由は無くなる代わりに
聖書の言葉という、見えないけれど いつまでも色あせない豊かさを 身につけたい。

PS。
今の給料で一家がやっと暮らしていける…って家族もいることもわかります。
そういう所に、私たちのカットされた給料が流れていってほしいです。
格差社会になります…が、人間の知恵で 社会全体で助け合って生きることも出来るようになってきたらよいなと思います。 そうするようにと、神様が許したことなのでしょう。
上司の奥さんが、7ヶ月になる次男のジョージくんを職場に連れて来ていた。
私の上司は黒人さん。 
奥さんは白人さんなのでハーフなのだ。
長男のパトリスくんに比べてジョージ君は、
髪の毛のカーリー以外は母さん似の金髪で肌も白い。

お父さんである 私の上司は
ジョージ君を抱き上げて、「可愛くてしかたがない」ようで
細い目が さらに細くなり、
大切に抱っこしたジョージ君を、皆に見せて歩いている。

普段の仕事姿からは、想像できないほどの 親バカぶりで
見ているこっちまで、トロケそう。
ジョージ君のホッペにキスの嵐である。

こんなにまで、自分の息子を可愛がる男性を見たことがなかったので
普段から尊敬する 私の上司を ますます尊敬。

その光景を見て、
きっと、小さい頃に私もこんな風に父に愛されて育てられたのだろうと
ふと、切なくなった。
永遠に同じ状態でいるのは、この世では不可能なんだな~。
父は私が小さい頃に、すでに家族を離れてしまった。

聖書にも書いてある。
永遠に変わらないのは 神様の言葉だけ。
それを知ってから、変わらない神様に委ねようと かなり気持ちが楽になった。

私の上司、ずっと変わらないで 家族を大切にしてほしいな。。。。
 
こんばんは。
愛犬家です。

先ほど、飼っているミニチュアピンシャーのコパンとトゥトゥに
「美味しいの食べる?」と聞いたら
大喜びで冷蔵庫の前に並んでピョンピョン飛び跳ねたので
二匹に 犬用のクラッカーを贈呈しました。

お留守番が上手だし、
散歩も行きたがるし、
ご飯も 沢山食べるし、
トイレもキチンと決まった場所で出来るし、
私の事ばかり 気にしてくれてるし、
私に褒められると 大喜びしてくれるし、
何よりも、一番の理由は 可愛いから。

クラッカー一枚だけなのですが、
感謝の気持ちを込めて贈呈。

「おすわり! 座っている。 
でも我慢できなさそう。
「よし!」で、自分の取り分のクラッカーめがけて、
首は伸びてクラッカーまでもうチョイなのですが、
足は10本に見えるほどの速さで空回り (本人達は走っているつもり) 

二匹、それぞれのクラッカーを受け取ると
ものすごい速さで 走っていった 
(床がすべるのでまた、二秒間ほど同じ場所で走っている)

そして幸せそうに 味わって 食べている。
相当な美味しさなんだろうな~。。。
二匹を見ていると、私までそのクラッカーを食べたくなる。
この場面をコマーシャルにしたら、
絶対に商品売れると思うよ。

ちっちゃな食べ物にも こんなに一生懸命になって
感謝して
楽しく 嬉しそうに 幸せそうに
時には 争うほどに
味わって食べたら

材料になった植物や動物達は
本当に、喜んで天国へ行けるんだろうな~。



学校では…

語学コースでは10カ国以上の人種が集まっていましたが、
違いを超えて皆が仲良しでした。
毎週末、誰かの家にそっちゅうに集まって 語り合ったりしました。 

中でもスペイン人のバネッサが親友として与えられて、彼女には全ての面で支えられました。 
お互いの家に泊まりに行くほどの仲良し。 
小旅行も一緒に行き、私がお金に困っているときは、必ず夕ご飯に招待してくれました。 
沢山の生徒がいるのに、朝のバスの中でたまたま私が話しかけた彼女が偶然にも同じクラスで、
後で分かったのが、家も歩いていける距離にあるという事でした。 
必然を感じた出会いでした。

バネッサ…10年も会っていませんが元気でしょうか。
手紙も葉書も、返事なしです。
彼女の事だから、良いお母さんになって忙しくしているんだと思います。

あっという間の8ヶ月の留学期間でした。
8ヶ月いられたのは、仕送りするために必死で働いた母と妹のおかげでした。 
経済的な厳しさを 全く感じることなく、
いつもとても幸せでした。

夢を叶えて、今イギリスにいるんだ。
「夢のイギリスから星を見ているんだ。」と思っただけで 心いっぱい幸せになれました。
物では得られない幸せを始めて感じた留学生活でした。

もしも、お金に余裕があって留学できていたら…
きっと、最初の家庭でしばらく過ごすことを選択し、アイルランド人の家庭に行くことはなかったでしょう。 
一つ一つの事が絶妙なタイミングで与えられたものでした。
「試練」と見ていた始まりの出来事は、
全てが私の性格をよく知っている上で神様が与えてくれた「最良」でした。 


4月に日本へ帰国し、すぐに就職活動を始めました。
そして6月始めに何年も会っていない友人に道でばったり再会しました。 
彼女に再会しなければ、7月に就職することはできませんでした。
しかも、私が就職したその会社は小さい頃から就職したいと思っていた場所でした。

就職したことで、イギリスへ行った頃の恩返しを母と妹に出来たことが嬉しかった。 
帰国後も神様は変わらずに最善を最善の時に与えてくれました。 
思い返しても、素晴らしいほど精密で精巧な計画であり
自分では思いつかない計画です。

最後に好きな御言葉を:

しかし、聖書に書いてある通り
「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、
人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」 のである。

-コリント第一の手紙2章9節


留学やら、転勤やら、転校やら…
人生の転換期のような時期には特にアンテナ三本立っちゃって、ピリピリの私。 
だから神様のしてくださる備えや助けに敏感になれたのだと思います。 
でも結局は、日々の普通の生活にも神様の愛は全ての場所で用意されています。 
それを受け取ることに敏感になる努力を日々、聖書を読んで御言葉に触れて訓練をして行きたいです。
こんにちは。

(1) が長くなりすぎて、続きを書くまでに勇気と時間がいりました。

もじょもじょ。
何でしたっけ?

あ、イギリス留学の事でした。

そうそう、
出発の1週間前に…
あてにしていた現地での滞在費が銀行から下りない事が判明したのです!(がーん)
でも、何もかも済んだ後だった。
後戻りが出来ない状態に。  「どうしよう!」
出発日まで祈り続け、眠れず、ご飯ものどを通らずに過ごした。
前頭部に円形脱毛が出来た。

その時、普段はあまり開かない聖書を開いていた。
与えられた御言葉が 

イザヤ書43章の
「恐れるな、私はあなたをあがなった。私はあなたの名を呼んだ。
あなたは私のものだ。
あなたが水の中を過ぎるとき、私はあなたと共におる。
川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。
…おそれるな、私はあなたと共におる。」

あ~神様。 
何よりも心強い励ましだった。
一人じゃない気がした。 ほんとうに心強かった。

そんな事態になるまで、教会を離れて聖書も開いていなかった私。
なのに、神様はそんな私に御言葉を通して励ましてくださった。

天と地を創り、私の髪の毛の数までおわかりになる神様が
大丈夫って言っているんだから、
絶対大丈夫だと思った。

あの年齢で、あの時期だったから 行くことが必要だったと今なら分かる。 
もしも、先に銀行からお金がおりないと知っていたら留学はしていなかった。
すごいな~。。。

そんな始まり方でのイギリス留学。
でも用意されていたことは予想もつかない素晴らしいことばかりだった。

イギリスへやっとの思いで着いたところから。

マンチェスター空港に無事に着き、いきなり私の荷物が行方不明になるなどのトラブルがあり、
3日ほど旅の疲れと荷物への不安、緊張で眠れませんでした。 
最初に案内された家庭では奥さんが日本人でしたので、
勉強のためにイギリス人家庭に変えたいことを学校へ伝えました。

日本人のホームステイ先に案内されたことを、始めは良く思いませんでした。
でも後に知ったのは、空港まで迎えに来て案内してくれた方が私の為を考えて
日本人のいる家庭へと紹介してくださったとのことでした。 
イギリスでの生活に必要な基本的な情報を日本語で教えてもらいました。 
今となっては感謝です。
不安な状態でいきなりイギリス人宅だったら 
緊張と疲れとで、もっと眠れなくて もっと大きな円形脱毛こしらえただろうな…。

このように神様の用意してくださった人たちに本当に助けられました。 

再紹介されたイギリス人家族Stock Portという場所に住むアイルランド人でした。
Stock Portは学校がある中心地までバス1本でいける地域で、しかも、その家はバス停のすぐ横でした。
家賃が気になりましたが 前の家庭で払った家賃の3分の1でいいとのこと!
夢のような話でした。
その家賃に食費以外は全て含まれていました。 
洗濯もホストマザーがやってくれましたし、週に一度は新しいほわほわのベットカバーに変えてくれました。 
心配は自炊しなくてはいけない…食費の事だけでした

他に3人の学生が住んでいて
ラトビアからきたエビアが私の親友になりました。 
落ち着いた、大人の考えを持ったユーモアと優しさのある子でした。 
彼女とは朝から晩まで一緒で、出かけるのも一緒、語り合うのも大好きで、
彼女からダンスを習うこともありました。 
夕方の散歩や、外出も一緒に楽しみました。 
日曜に近くの教会に行くこともありました。
国は違うのに全ての事を同じように、「やってみたい」と思え
一緒にいるのが楽しかった。 
双子の姉妹のようでした。

イギリスから日本に帰る時、落ち込んでいた私に
「神様から用意されたプレゼントがあるから、今帰るんだよ」と彼女が言ってくれました。 
その言葉は生涯忘れません。

イギリス人の一つ年上のマイケルさんという方も三階に住んでいて、
私と同じく、Manchester産の音楽が大好きでした。 
音楽に関して沢山の事を教えてもらいましたし、
それが聴けるライブハウスにもクラブにも連れて行ってもらいました。 
他では経験できないような経験、たとえば、パブと呼ばれる場所で
イギリス人の大勢集まる中、サッカー中継を見たり
仲間がいる場所へ度々連れて行ってくれたり、
イギリス人の若者ならではの場所にも連れて行ってくれました。 

日本で想像していた留学生活を超えている状況に、自分でも驚いていました。 
もちろん私がManchester に来た理由は「音楽の町」でしたので、
家にあるマイケルさんのCDやレコードのおかげで音楽にも満たされていました。 
本当に神様には感謝でした。


(3)へ続く。
「神のなされることは、皆その時にかなって美しい。」 
He has made everything beautiful in its time.
(伝道の書3章11節)

この言葉を意識したのは、24歳の時にずっと夢だったイギリス留学が叶った時でした。 
私は10歳で洗礼を受けてクリスチャンになったのに、高校生の頃からほとんど教会に行かなくなり、
社会人になってからは「宗教を持つことで、戦争があるのはおかしい!」と考えて 完全に遠ざかりました。
今となっては、戦争は神様が起こすことではなく自由意志で人間が選択して起こしたことだ…と分かりますが。

宗教を持つことを拒絶しながらも、
眠る前の祈りと朝起きたときの祈りは欠かしませんでした。 
祈らないと気持ちが落ち着かなくて眠れなかったので、
一日の感謝と明日の希望とを神様に毎日祈っていました。 

高校生の頃から、音楽がきっかけでイギリスが好きになり
イギリス留学を夢見るように。

でも、留学なんて不可能な家庭環境にいた私。 
10歳の頃にちょうど両親離婚して、母ひとりで娘二人を育てなければならなかった。
美容師の母は、月一度だけの休日と仕事を二つ掛け持って私達を育ててくれた。
教会に行き始めたのも、母がきっかけ。 
今考えると、神にすがらないと生きていけない状況だったのだろう。

「イギリス留学へ行きたい」と祈りは続けていた。 
いつ叶うのか具体的に分からなかったけれど、
ひたすら、毎日、しつこく、ず~っと祈っていた。

「留学」を祈り始めて5年後の、とある日。
Stone Rosesという、イギリスのロックバンドが私の住んでる町にライブに訪れた。
彼らはその頃から少し前にイギリスでOasisなどのようなバンドと共に「Manchester Movement」といわれるロックバンドの大きな流行を作った中の代表的なバンド。
小さな島の私の故郷に、StoneRosesが何故くることになったのか未だに謎ですが、
ライブに行ったことで、具体的なイギリス留学の夢
「彼らの出身地Manchesterに行くぞ!」と、決心しました。 

すぐに、ある夜、夢を見た。
私が乗っていた飛行機が落ちる夢。
夢の中で飛行機が落ちる中、私は叫んでいました。
「イギリスにまだ行ってない~!」
目覚めた時、イギリスに行かなきゃ!と思いました。

仕事を辞めて行く勇気も、お金もない。 
宝くじでも当たらないと、ぜったい無理!だった。
出来ることは祈る事だけ。
祈り続けていた。。 

その時ちょうど、ものすごいタイミングでアメリカ留学中の友達から手紙が来て、
「留学は色々な方法で行けるから、お金はなんとかなるよ!」と書かれていた。 
この言葉に、留学するために仕事を辞めようと決心。
その後に起こることを分かっていたら絶対に行かなかったと思う。
神様のなさることは、面白い。
必ず 不可能を可能にしてしまう私へと追い詰める。 
何も出来ない、無知な私だから神様も導きやすかった?

わずかな貯金でイギリス留学を準備し、
良い留学センターにもめぐり合えた。 
経済的に無理だからと、イギリスをあきらめてアメリカ留学にしようと考えていたら、
担当者に「どんな理由でも絶対に好きなイギリスに行って欲しい。」と説得された。 
そのおかげでManchesterでの生活が叶えられたのでした。
学校も決まり、手付金も何もかも払って出発までもう少し~
イギリスに2年いると、皆に公言していた。

だけど…


(2)へつづく。
おはようございます。
大好きな土曜日の朝です。
昨夜は10時半には就寝したのですが、夜中2時半に目が覚めました。
それからは眠いのに 眠れないので
夜食を食べながら録画していた 「爆笑問題の日本の教養」を見ていました。

爆笑問題大好き。
太田さんは私と似た哲学を(少しの部分ですけど)持っているようなので
番組の中で彼の考えを聞くと、「私もそう思ってた~!」と共感できことがたまにあって
彼らの出る番組は見ると 
私の言いたかったことを太田さんが上手く言ってくれて
ストレス解消、スッキリ&ルンルン気分になります☆

若かりし日々、好きなシンガーの歌を曲を聴いて
共感し、感動し何度も聴いた時のような
そんな気持ち!

今回の「日本の教養」は気象学についてでした。
地球温暖化に触れて、太田さんが
「地球温暖化はなるべくしてなった変化で、それは地球が今の状況に対応してとった手段であって 人間がそれを止めるために無理に変化を加えてはいけないんじゃないか?」と言っていました。 
私もずっとそう思っていました。

気象学や温暖化について全く知識はないのですが、
悪くならないように人間として現状を見直す必要はあるけれど
オゾン層が破壊されることや
気象異常(台風の多発や、落雷、ハリケーンなど)は地球が現状に対応した結果であって
それイコール「地球の破滅」にはならない気が。
地球の未来は「大丈夫」だと思うんです。

判ってないのに偉そうに言ってます。 私。 はい。

地球は神様が創ったもの。
私達の知識では思いもよらない 可能性を秘めていると思います。

温暖化や環境について、人間に出来ることは 見直すこと。
人為的に変えることではないと思います。
(例えば新しい種類の資源を使うとか、新しい電化製品を買うとか…)
今の暮らしのままでいい。
でも、その中で出来ることの知識を身につけ、習慣にするのです。

温暖化と騒がれたことで私達は、生活の無駄なエネルギー消費を見直すきっかけになりました。
環境破壊と騒がれたことで私達は、無駄なごみを出さない努力、物を大事にする大切さを学ぶようになりました。 地球の細胞のような役割として人間が生存しているとしたら、今の世界的な環境保護の活動は 人間の体内で言えば 善玉菌が増えてきたような状況に思えます。
私達が環境に優しい電化製品や車を環境保護の為に新しく購入するよりも、今もっている物を大事に使う事が大切です。
それよりも、人を殺すための兵器などを使わないようにするべきです。

神様の計画の中に、私達は置かれていると思います。
世界規模で。
特に、ちょっと贅沢に暮らしてきた先進諸国にこの問題の解決が示されたんですね。

私の改善点は…
沢山あります。 
ありすぎて書ききれません。

そうこうしてるうちに、朝日も昇り
新しい朝になりました。
晴天です。
今日も 健康のうちに朝を迎えることができ 感謝です。

寒くなってきました。

沖縄も昨日から、油断すると風邪をひいちゃいそうな寒さです。 
うちのコパンとトゥトゥも、昨日から犬用スカジャンを着用して寒さに備えています。 
ミニチュアピンシャーという犬種は寒さに弱いとのことなので、油断は禁物です! 
凍死しないように、
笑われても、冬服は必需品なのです。

沖縄に生まれたのは間違いだったのでは?と思うほど、寒いのが大好き。
しかし、去年あたりから「いや、沖縄に生まれて来てよかった」…と感じるのは
「冬には必ず太る」ことを繰り返してからであります。 
北海道で生まれ育ってたら、今頃相撲取りです。
毎年、期待通りに太ります。 
太ったうえに、
30代に入ってからは体重が適正に戻る気配が夏になってもありません。 
やばいです!

太っている人が悪いとは言いませんが、私の太り方は風船みたいにパンパンになるのです。
イギリスに留学したときも、6キロ蓄えました。 
ある人には、「丸くなってメロンパンナちゃん(可愛いから嬉しいけど!)みたい」と言われました。
寒いと食欲が…

昨日から乾燥した季節には意外な虫刺され発生中。
今日は鼻の下に鼻水みたいに大きく膨れた虫刺され&手首に二個もかゆいのが発生。
ショック。 
旦那様がいなくても、掃除もせっせとしてるし、コパンたちも、お風呂にいれたばかり。 
こんなんだったら掃除も犬の入浴(?)もやめた、やめた!!(`и´)


昨夜の教会での夕拝(夜の礼拝)でも、季節はずれの蚊に付きまとわれた。
気になって 牧師先生のメッセージも 半分聴いてないような状態に。


あまりにしつこかったので、
「この蚊はもしや、悪魔では?!」とか思いました。
わざわざ蚊に変身して、私が牧師さんのメッセージを聞かないようにする悪魔の策略って? 
どんな小規模なものよ…↓ もうちょっとスケールが大きくてもよろしいんじゃない?
人間って邪魔されたり、障害があるときほど燃えるもので…聴きにくかった割には、いつも以上にメッセージが心に染みたのでありました。。。ふふふ。

昨日のメッセージ。 
イエスキリストの十字架を伝えることが 私達の使命。
「私はクリスチャンだよ! 教会に行こうよ!」
と叫ぶ前に、私自身がイエスキリストの愛を理解し伝えていくことが大切だ。

伝える…イエス様のご自身を犠牲にして示した愛を伝える…か。
私に出来る形でやってみよう!

ーと、ちょっと思いついた☆
人って「禁止」するとしたくなるって言うし、
恋愛だとかでも、障害があると燃えるって言うから、

例えば、「イエス様の事 すごくいいから教えたいけど、やっぱいいや!」とか皆にチョロっと言っておく。
 
その後、密やかに聖書を読んでイエスキリストの愛を学んでいくうちに、すごーく 私が自分ひとりだけ嬉しそ~に、幸せそ~な見た目になってきて、(でも 秘訣は気軽に教えないで秘密にしてる感じにしておく)

そのうちに、私が人への思いやりをあふれ始めたりして、
正確な判断とかも的確ににめちゃくちゃ出来きはじめて、
他の宗教の事をも尊重し&尊敬するとか、広い心をもって寛容と愛を示せたりしたら…
「ちょっと、何なの?イエス様の愛とか、十字架とかって何なのか教えなさいよ~!!」
って、聖書を知らない人たちからも求められたりし始めないかな…???!!!
なんて、たま~にですが、思ったりしてます。 

イエス様も「こんな季節に虫さされ?」ってあったのかな。
「今日は寒い割りには湿気があるからだよ。」とか言われたりしたのかな。

イエス様もジョークとか言ったのかな。
「さぶっ!」とか言われることもあったのかな。

こんにちは。 
アメリカ合衆国がらみの会社で働いている私は、一足お先に勤労感謝の日をやっっちゃってます。
アメリカでは本日、11月22日がThanks Gving Day(勤労感謝の日)です。
日本が真似たのか、
たまたま近い日になっちゃったのか???
雑学王女のイツミさんに、月曜に聞いてみます。

日本では最近、“いい夫婦の日”とも言われていますね。 
ちなみに、私が旦那様とお付き合いを始めた記念日が毎月22日になっています。
(あ、いらない情報でした?)

昨日はポトラックといって、皆で一品づつ手作りの食べ物を持ち寄って日頃の労をねぎらい合いました。
沢山の種類の食べ物に大興奮でした。
デザートだけで 7種類(カボチャのパイがそのうち3っつも!)もあって 
「いやーん」状態に。

興奮しすぎて、普段食べれないものを選べばいいのに 
何故だか春巻きとか揚げ団子とか選んじゃって、しかも 横に並んで選んでいた ヨー子さんに
「もっと食べなさい!だから、あんたは痩せているんだね。もっと取りなさい!」と言われ、
「痩せてないですよ~!贅肉だらけですよ~!!」とか言いつつ、
『痩せてる?そうかな~?ちょっと嬉しい。』なんて 内心思ってしまい、
調子にのって無理して大量にお皿に盛ってしまい 
デザートまでお腹にスペースが残っていなかったという事態を招きました(; ;) 
皆さんも気をつけましょう。


働くって何でしょう。

世の中には沢山の答えがあります。
シンプルに言えば「人に仕える為の社会活動」ですよね。 
そして、もらった報酬で自分の生活も支えることが出来る。
私の中の仕事のイメージはこんな感じでした。

私にはじーっとしているのは耐えられないことです。
「がさがさ~」(止まらずにいつも何かを探してパタパタすること)と呼ばれること多々あり。
一生懸命動いて働くことで、人の幸せになる仕事が最高だって思っていましたから。
でも、仕事のイメージを変えることが ここ二年の間に起こりました。

二年前に、今の職場に配属になりました。
パソコンの前でじーっと書類の処理をしていなくてはいけない仕事です。
お客様対応。電話応対。
受け身の仕事です。
これまでの仕事が、自分から探し当てて問題解決をしていくような活動的なものでしたので
急激な変化に身も心も対応できずに「気が狂いそう」でした。 
ついには 蕁麻疹だらけになり、通院しました。

神様にずっと祈って与えられた夢の仕事でした。
配属が決まったときは、「どんなことでも耐えて見せます!」と感謝の祈りをしたのでした。
でも、蓋をあければ私には適応能力がなく、劣等感と挫折の日々… 
「私がいる意味があるのか?」と毎日悩みました。
与えられた目の前の仕事を、丁寧にこなす事ができる精一杯の事でした。
「私は給料をもらいながら、勉強させてもらっているんだ」
と自分で自分を励ましていました。
でも、「神様は、どういう計画でこの仕事を私にお許しになったのだろう。」とずっと、考えていました。

周囲は全員エリートです。場違いな所に入れられた私…私は何の取り柄もない凡人ですから!
この場所に採用された奇跡は神様意外に私にすることは出来ませんでした。
きっとあの面接の日、聖霊様が面接官に私の事を
『吉永小百合級の美人で語学堪能』に見える魔法をかけたか、
逆に「採用してあげないと、この子を取るのはどこもないだろう」と思わせたかどっちかです。

何にもない、こんなちっぽけな私が今の職場に来てから、周囲の人々や
特殊な環境から多くを学ぶ日々を過ごしたのは言うまでもありません。

そんな私も、あと半年でこの職場に来てから3年。
そして今、この私が…いつのまにか、この環境を楽しんでいます☆ 
「居心地いいな~」って思ったりします。 
ひどかった蕁麻疹も過去の思い出に。
(疲れたら、たまに出現)
傍から見た私の変化はどうなのか分かりませんが、
仕事に来ていて心の中が満たされている状態なので
きっと外見にもそれは表れているだろうと予想されます。

これって、神様が私に
「なかなか変えることが出来ない。私という人間は一生変わらない」
と思い込んでいた自分自身へ可能性を
「いつでも変わることができる。どんな風にも変えることが出来る」
と教えてくれた出来事です。

自分勝手な思い込みは、向上心や建設的な未来への邪魔になります。
自分自身の可能性って無限なんだな~と感じます。
これは仕事を通して教えてもらったこと。 
仕事は「人に仕える」行為という意味を持つだけではなく、
それを通されることで「自分のためにも好いことが働く」行為なんだなと思いました。
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私が望んでいない展開になったとき、
神様に「この計画が何であるか判る知恵」を求め祈り、
それを見極める冷静さと忍耐とを持ち続け育てて行きたいです。
ブログ…って日記なんですよね~。
最近までミクシーをしていたのですが、好きな神様の事をもっと思いっきり書きたいと思ってブログを始めることにしました☆ ブログになってない。 ま、いいか。

今日は朝から霧がかった曇り。
神秘的です。
私のアパートからは遠くまで見渡せるんです♪ 

11月も中旬なのに、いまだにTシャツ姿です。 朝晩はさすがに冷えますが。
6時半には起きて、洗濯、掃除機、台所仕事をして朝食を食べつつ、朝の祈り&ハーベストタイム鑑賞会しました。 これは33歳の生活でしょうか??? 60歳のような。
旦那様がしばらく出張なので、ビールも映画鑑賞も外食もなく完全に健康的な日々です。

今日は朝から長時間、パソコンに向かうつもりでいたので ちょっとした曇りが嬉しいです。
カンカン照りだと、もっと掃除したくなってたと思います。
愛犬コパンとトゥトゥの散歩も8時には済ませることができました。
って、言うか 土曜の朝、こんなに静かなの??って驚くほど 近所は静まり返っていました。
みなさん、昨夜は遅くまで何してたのかな~。

天気には神様からのメッセージがよく現れていると思います。
実家のペンキ塗りを予定して、4週間ほどかけて毎週日曜日に作業していたのですが…
長時間の作業中は、驚くほど 曇りでした。
灼熱の太陽を浴びて 熱射病になることなく、作業を終えることが出来ました。

旦那様を空港まで見送る日曜日は、朝から小雨が降っていて作業は出来ませんでした。
もし晴れていたら、旦那様を見送った後に無理して「作業したいな」と考えたと思います。
でも、頭痛がしていました。
帰り道も小雨が降っていたことで作業をあきらめることが出来ました。
その後、部屋で心置きなく身体を休めることが出来たのは言うまでもありません。

私が私の思いで、やるべきではない時に無理をしようとしたら
神様はあらゆる手を使って、私が無理するのを阻止します。
私が思うより、私は弱いのです。 神様はそれをよく知っています。

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予定したことが、駄目になってしまうほど天気が悪くなったとき
今では その天気が誰かの幸せの為になっているのではと思います。
そして、その天気の中で出来る最大限の楽しみを見つけたいです。




「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神に習うものになりなさい。また愛のうちを歩きなさい。」 
エペソ人への手紙5章1節から2節途中まで(口語訳)

パウロさんからの手紙。 
新約聖書の多くの手紙は彼からキリスト教徒に送られたもの。
パウロさんは 熱狂的なキリスト迫害者だった。
ある時点から、熱狂的なキリスト教の応援団長に。

辛い所を通ってきたパウロさんだから、言葉には説得力があるな~。

「神に愛されている」…この事を、実感できるまでに私は長いことかかった。 
私だってかつては、神様とか宗教とかって言葉が馴染めなかった。
ニュースで見る宗教団体に良い印象がなかったから。
「怪しいな。怖いな。マインドコントロールされるのでは?」
と思って近づかないように注意していた。
今となっては、自分の判断の基準があやふやだったから しょうがないと思う。

そんなこんなで、その後、色んなところ通らされた結果は…
(すごい短縮しちゃった)

ある日曜日の朝、教会の中にいて賛美歌を歌って涙を流す私がつくられていた。 
雲がかかったグレーの視界から、光の中に出れたような感触。
涙がとまらない。
きっと、自分ひとりの力で生きるのに疲れ果てていたのでした。
神様に「もう、頑張らないでいいんだよ」言われた気がしてホッとしたのだと思う。
とても心に平安があり、優しさを感じ、愛を感じました。
今から4年ほど前の事。

「いよいよ私も宗教にすがってしまった。 誰にもいえない。はずかしい」
なんて言葉が心の中に大きく渦巻いていた。 
だって私がその時まで、宗教に抱いていた悪いイメージがあったから。
かつてのパウロのように、「キリスト教大反対」を背負って歩んでいたから
周囲にクリスチャンと告げるのが恥ずかしかった。

でも教会に行って、毎週せっせと汚い心の中を掃除してもらっていた。
通い続けている間に
私がどんなに沢山の恵みの中ですごしているのか分かるようになってきた。
でも教会で毎週あんなに掃除し続けたのに、ますます私の心の中は黒ずんでいった!

なかなか落ちない頑固汚れだな~と思っていたのは私の心の本来の色でした。
薄暗い光の下ではよく分からなかった心の黒ずみが
神様のまぶしい光に照らされてドンドン明らかになってしまったのです。
は、はずかしい!
もしかして、罪だらけじゃないの????

それからは、ずっと神様の優しく明るい光の下にいたいと思うようになりました。


心に罪があると、磁石のように
心が罪に引き寄せられます。

罪を掃除していって、燃えないごみの日に出して
心を「正しいこと」で埋めるように努力したら 
「正しいこと」に引き寄せられるようになる。

「かなり無理してるんでしょ~?」とかはない。

「悪いことしたな~」って後悔したり、自分の得ばかりを追求することのほうが、
めんどくさいし疲れます。
と、私は思います。

明るみにいることを体験したら、後に戻れなくなりました。
楽しいのです。

私には限界があるので、
私を創ってくれた方に全面的にお任せするほうが楽です。
今ではもう、この事を言わずにはいられなくなりました…「私はキリスト教徒です!」

少しはパウロの気持ちが分かるような。 嬉しい。

キリスト教徒でも、相変わらず山あり谷ありの普通の日々です。 
が、神様と共に歩める事が幸せ。 
迷ったり、落ち込んでも神様が道を示してくださいます。
希望が与えられます。そして、どんな事からも神様の愛が学べて、
生かされていることが奇跡だし、感謝です。 
まさに愛の中を歩んでる気持ちです。

そのおかげで神様の創造された 
天、地、海、自然、動物…花の、「完全で完璧に美しい」ことに感動。
分かっていたけど、こんなにまで美しかったの???みたいな感じです。

かつては怒りん坊だった私が(この顔で)、
今は余裕のよっちゃんでいられることが多いです。
心にポカポカと平安を連れて歩けているのが感じられます。
これからも、神様に習うものとして神様に
愛されて歩みます。

小さい頃からの夢がまた一つ、叶いました。
ブログ持つまでにかかった時間は、私に必要だった神様からの計画でした。

私の小さな頃からの 密やかな夢であった、「私の思いを書くこと」!はブログという形で叶えられました。
しかも! 大好きな神様からの贈り物を、私の日常からの探していくというアイディアを与えられました。。。

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ゆっくり、のんびりと。 神様と一緒に歩ませてください。

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プロフィール
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ジェニ
年齢:
50
性別:
女性
誕生日:
1974/01/11
職業:
事務職です
趣味:
犬、音楽を聴く、お笑い番組を見る
自己紹介:
イエス様と聖書が大好きです。。
他に好きなものは音楽とヨーロッパと洋服。

現在http://ameblo.jp/kopa1tutu2/で、出産とわが子についてのブログを更新しています。そちらもこちらも共々、よろしくです~。

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