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わが助けは天と地を造られた主から来る。(詩篇121篇) 
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昨日、2泊3日の東京旅行から帰ってきました。
3日間歩きっぱなしの旅。日ごろの運動不足がたたり、昨日の帰りの飛行機内で背中に冷たい痛みが走るようになり、湯船に入る気力もなかったのでそのまま眠ったら明け方に体中が痛くなり動かなくなりました。 それで今日は朝の5時に湯船に入ってました。 今日、仕事を休みとってて本当に良かったです~。

東京に行くと「虚無」をいつも感じます。 華やかで、人には活気があって街も綺麗で…。 あの中で、流行の情報や虚栄心に流されず生きるのは並大抵のことではないと思います。 皆、ほんとうに幸せそうでした。 生き生きしていました。 流行の最先端の街に似合う人々たちと多くすれ違いました。。「怖いもの無し!」って感じです。 うらやましいくらい。  でも、さすがに、田舎暮らしの私は3日でギブアップです。 脳が疲れてしまいます。それに、東京に行くと神様が見えなくなります。 何故だろう。。。

いつも東京旅行では日曜を挟むことが多いので、必ず宿付近の教会に礼拝に行きます。
他の地方への旅行でも必ず礼拝に行きます。 不思議と東京で礼拝に行くと、いつも涙が出てきます。
キリスト教書店にも行くのですが、書店内でまた号泣です。鼻水もたらします。
沖縄ではこんな風に教会で泣くなんて、ほとんどありません。
旅行で疲れているのだと思いますが…他県への旅行での礼拝は泣いたことがありません。

今回の旅で初めて、渋谷あたりの交差点でキリスト教の人たちが(どういった教派なのかは知りませんが)通行人に向けてキリストの愛を伝えている活動をしているのを見ました。 マイクでかなりの大声で「あなたの罪の為にキリストが死なれた」、「神様はあなたを愛している。あなたの中にある罪を認めなさい」、「あなたは罪びとです。」と通行人に向けて言っていました。

正直な気持ち、良い印象は受けませんでした。 「?」でした。 しかも誰も聞いている様子はありませんでした。 あの人たちはキリストの愛を伝えたいので、一生懸命伝道しているのです。それは凄いと思います。きっと、良く思わない人たちもいるはずです。罵声を浴びせる人もいるでしょう。寒い中、一生懸命「あなたは罪びと」と繰り返していました。「罪があることを認めなければ、地獄に落ちる」と大きく掲げられたプラカードには太い文字で書かれていました。

東京ですれ違う沢山の人たちは、一見華やかに見えても 実際は色んな事情を抱えている人が多いのだと思います。 だから東京の様な夢の街にいて、自分の可能性を探していたり きらびやかな中で日々の不安や重荷、虚しさを忘れられるのだと思います。 都心には圧倒的に若者が多く、ちょっとはずれた所の住宅街では年配の方や、大変そうな家や人を見ることが多いです。

私も若く、がむしゃらに生きていた頃 色々な出来事があっても 自分を信じて自分の中に解決策を見出そうと努力しました。 マイナス思考に走ったり、落ち込み気味のテンションになっても好きな音楽を聴いたり 良い本を読んで 「よ~っし!前進あるのみだ!!」って…打たれても タダでは起きないぞと、意気込んでいました。
今の若い人たちはどうでしょうか。(私が若くないみたいな言い方???プンプン)

きっと、向上心があり ダークな世界にはあまり目を向けないように努力し、弱音を吐かず、弱みを見せず、いつも明るく面白い…って「理想の自分像」の中にいる努力をしていると思います。 日々を生きるのに精一杯で忙しい人たちに 「罪を認めないと 地獄がまっている」と言っても現実味がない、必要を感じさせない言葉だと思ます。 

わたしが「神様に一生、ついていく!」と決心したのは 聖書の言葉に平安と平穏を見出せた時でした。 優しい光に包まれたような中で、「罪深いあなただけど、私はあなたを愛している」と神様に言われたときでした。 きっと、帰る家が怖い家だと遠回りしたり道草したり…帰りたくないと思ったりします。 帰る家に「ああしなさい、こうしなさい」と口うるさく言う家族がいると笑顔が消えるでしょう。。。しかも、「あなたは罪があるから、このままだと地獄に落ちるよ」と言われたら これから先、心から喜んで生きることは難しくなります。

罪と地獄は、人間が判断することではないと思います。 神様が判断することです。 全く罪を犯さないで生きることは無理です。 不器用な弱い人間を、神様は愛しています。 聖書に書かれている「真理は自由を得させる」という言葉が大好きです。 聖書と神に触れることで、恐怖心を植えつけられて日常の生活ができなくなったりするのは神様が望んでいることではないと感じます。 私の場合、神様に本当の意味で出会ってからは 気持ちが自由になり「中途半端で取り柄のない、こんな私でもいいんだ」と安心しました。
 
心に平安があると、自然に罪が見えてきます。。。日々の恵みを知り感謝の気持ちが溢れると、神様にすべきことは生かして守ってくださったことへの恩返しであって、罪ではないと自然に思ってきます。 聖書で言う罪とは奥深いものがありますから、自分で意識して回避できるものと出来ないものがあります。 だから、まだ聖書の神様に触れていない人に 始めに罪の話はすべきではないと思います。

神様に出会ってから、一番良かったなと心から思うことは「人の為に祈る時」、「希望が持てる時」と「ゆだねて歩める時」です。 「罪が判ったから、悔い改めたから地獄に行かなくて済む!」と考えて嬉しかったことは一度もありません。。。 

沢山の人たちが神様の愛に気づいて幸せな気持ちになるように祈ること、愛と優しさをもって神様を表すことがクリスチャンの役目だと思います。


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プロフィール
HN:
ジェニ
年齢:
50
性別:
女性
誕生日:
1974/01/11
職業:
事務職です
趣味:
犬、音楽を聴く、お笑い番組を見る
自己紹介:
イエス様と聖書が大好きです。。
他に好きなものは音楽とヨーロッパと洋服。

現在http://ameblo.jp/kopa1tutu2/で、出産とわが子についてのブログを更新しています。そちらもこちらも共々、よろしくです~。

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