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私が物心ついた時から通っていた教会の牧師をしていました。
50年近く牧師をしていると思います。
もともとは、教師をしていて戦争に日本が負けたときに、
絶望を感じて…その後、色々なことを乗り越えて牧師になったようです。
奥様も教会学校の先生をしていました。
聖書学校に通ったときに さまざまな教会の牧師に会う機会が与えられましたが、
文三先生の カーネルサンダースのような優しいまなざしと、
笑顔と言葉には、ものすごく安心感が与えられます。
それをしてくれる牧師にはまだ、出会ったことがないような気がします。
文三牧師らしいエピソードを一つ。
20年ほど前に母が原因不明の激しい頭痛でしばらく入院したことがありました。
何度もそんなことがあり、通院が続きました。
最終的には原因が分からないので、
入念な検査の結果、「頭を開けての手術」をする事になりました。
短い退院の間に、心配した祖母が
「ユタ」と呼ばれる沖縄では何人もいる有名な霊媒師の一人に母に内緒で相談していました。
ユタの人は、紙に注意事項を書いて祖母に渡したそうで
それを見て、祖母からの話を聞けば、
ユタさんは、実際に行ってもいない母の職場の事を細かいところまで言い当て、
「職場のここに、悪い霊がいる」と言ったので 母もみんなも驚き、怖くなり、
ユタさんにお祓いしてもらおうということになりました。
あの頃は、原因不明となると
霊的なものが原因とされて、ユタの言うことを守らずにいると
手術は無意味なものに終わり、治らないまま精神的に弱り行き着く先は収容施設と言われていたのです。
でも、教会に通っていた私の母は
「気になるから、文三牧師に一度相談してから」
と ユタに行く前に教会に行きました。
文三先生に会って、これまでの事情とユタに言われたことを全て話しました。
そのときも母は頭痛で苦しんでいました。
真剣に母の話を聞いた後、うなずきながら
文三先生は「分かりました。お祈りしましょう」と言って しばらく祈った後、
母の背後に回り、
「原因は、肩こりですよ!」
と言って母の肩を力強くもみほぐし始めました。
母は、「あいたたたたた!」と言いながら肩をもまれていました。
側で見ていた私は、入院から霊媒師までの話が「肩こり」で済ましてしまう
文三先生のパワーに
ただただ、圧倒され「ただ者じゃない」と幼心に思ったものです。
母の肩をもんだ後、文三先生は
「はい、治った! また痛くなったら、肩をもんでもらいなさい。
職場のことは、心配しなくても神様がいるから大丈夫だよ。
それでも気になるなら、私が祈ってあげるから電話しなさいね」と言って笑っていました。
あの出来事から、「キリスト教の神様って安心だなー」って印象を持ったような気がします。
言うまでもなく、その後母は手術をすることもなくユタにお祓いして貰う事もなく
元気に(自称、鉄の女と言うほど)生きてきています。
文三先生、あの思い出をありがとう。
おはようございます。
長いこと、ブログもせずにせっせと土地探ししていましたよ。 そして先週からジワジワと体力がなくなり、疲労でヘロヘロになってしまいました。 睡眠障害が出始めていました。 でも、月曜からは無理やり眠るようにしていたので 今朝、久々に爽快な朝を迎えることができました♪
睡眠不足になると、チョコレートに手を出す私。
昨日はスニッカーズとキットカットをペロリでした。
土日忙しい中でも土地を探していました。 平日の仕事のお昼休みも、土地を見に行きました。 執念でした。。。で、そうしているうちに 建てたい家を見つけました。
旦那様と二人で一目ぼれした家。
せっかく土地を見つけても、旦那さまは「この家を建てれる土地を探す」とまで言い出す始末。 土地探し班の私もさすがに爆発してしまいました。
祈りながら土地探しを進めているので、話がキャンセルになった土地があっても必ず神様からの守りが感じられました。 旦那様と喧嘩しても、結局は「あの土地でなくて良かった」と思うことが多いのです。
建てたい家が見つかったことで、その業者さんが土地も探してくれるとの話しになりました。
「こんな感じで」と要望を伝えて、建物の設計も土地探しもお任せしています。 その後から、私の心は非常に軽くなりました。 緊張感が抜けてホッとしたのか、疲れが「ドっ」っときました。(それが睡眠障害だったのです)
これって、神様と歩むことに似ているなって思います。
自分の力でも頑張れるけれど、専門家に頼めば 話はスムーズに進みます。 人生を与えてくれた人生の専門家である神様に、イエス様に従い尋ねて歩めば、確かな答えが得られます。 とっても安心です
今、良い土地にめぐり合いました。 これが神様の示す土地なのか、祈りつつ慎重に歩んでいきたいと思います。
今日は仕事です。 朝からブログしちゃって、遅刻だ~
今日も相変わらず胃腸炎の一般市民です。
安静にしてます。
教会に行けないのでBBN聖書放送を聴いて祈りました。
神様からのメッセージを受け取らないと、落ち着かない私にしてくださって感謝します。
教会に行くことを習慣とさせてくださって、ありがとうございます。
自分の弱さと罪とを判らせて下さって、ありがとうございます。
過ぎた一週間も 罪を犯しましたよ。
胃腸炎という口実に乗っかってみますが、体が不調だったり気持ちに余裕がないと人のやることに簡単に怒ってしまうことが多くなります。
冷たく電話口で応対された時、レジでぶっきらぼうにお金を渡された時、誘導員が誘導しないために駐車場で大渋滞を作ってしまった時、油断してたら意外とカッコいい人が薬局の会計にいたり…と、そんな時心に平安がなくなりました。
でも、神様に祈って許してもらいます。
そして、反省して次に前進あるのみです!
神様を知らない昔は、罪を犯しても監視員が自分自身だったので 許してもらうことなく反省会だけを開いてました。
だから、いつまでも引きずってましたし、人の罪を発見した時には「絶対に、ゆ、る、さ、ん!」と、悪循環の中にいたのでした。
今なら、「私も間違えます。だから、あの人も間違うことはあるでしょう!」って思えるし
神様が許してくれるから、私も許すことが出来るし、自分のやった事も許して忘れることができます。
体の不調は罪からくると解説する人たちもいますし、そういった書物もいくつか読んだことがあります。
でも、私達が判らないといけないのは、人間はもともと全員が罪人だということです。
善人は一人もいないと聖書には書いてあります。
私が完璧な善人なら、この世に生まれてくる必要はなかったでしょうね!
イエス様は義人で罪がなかったから、十字架につけられました~。。。罪びとの私達に殺されたのです。 3日後によみがえられたのは、神の子だと証明するためです。 あのまま、よみがえらなかったら 「キューリー婦人」や「ガンジー」さん達のように 「こんな偉人がいた」という感じで伝記が出版されていたのでしょうね!
もしも、十字架につけられないで「病死」だったらこれまた「偉人の伝記」コースをたどっていたでしょう。
しかも、イエス様の生まれた場所は馬小屋です。
あの、お世辞にも綺麗とはいえない場所にイエス様は生まれたのです。
通常、「神の子」と言われる人物の登場の初シーンに選ぶなら 宮殿の黄金の寝室でスポットライトなんかを浴びながらパチパチ拍手喝采で生まれてきそうなのに。
でも、くっさい、くっさい馬小屋だったのです。
そんなくっさい、くっさい、馬小屋で生まれた、子供を 神の子って誰が認めるのでしょうか。
現代に置き換えても、想像ができません。
イエス様は死ぬときも、体一つ 金銀財宝は一切持っていませんでした。
王らしくない死に方です。 それは人間の知恵ではとても想像できない 神の子だから出来たことで、イエス様は神の国をこの世で実践したのです。
話はもどりまして…
体の不調になった時には、健康でいては感じることが出来ない思いを知ることが出来る機会になります。
私は小さい頃から病気がちで小児喘息が続き、治った頃には月経困難症と診断され 毎月激痛がくる20年近くを過ごしました。 激痛の中、いつも思わされたのが 癌患者の苦しみや、抜け出せない貧困の国にいて激しい痛みの中でもがいている人々が現実にいること。 私のこの一日程度の痛みはそれらとは比にならないことを確認し続けました。 人の痛みが判ってよかったと、病気から学ぶことは多かったです。
最近、忙しすぎて無理したところでなってしまった胃腸炎。
病気になることで、見逃している身近なことや 家で落ち着いてしなければならないことをするように言われている気がします。
いつもは教会にいってパタパタと過ごす日曜の午後も、こうしてBBN聖書放送を聴く恵みが与えられて イエスさまの十字架を思いなおす機会が与えられました。
ストレスからくるのが病気。
病気になって安静になることで、ストレスとされることから遠ざかることが出来る 神様から与えられた一つの恵みだと思います。
それに、病気になると家族の絆が強くなる気がします。
神様から与えられたものは 全て感謝で受け取れる 精神の強さを聖書の御言葉によってこれからも鍛えられたいです。
(病気の程度にもよるので…、厳しい状況にいる方達のために神様から与えられた別の意味の恵みもある。と付け加えたいです。)
胃が痛むのです。 お腹もゆるくなってます。
先ほど病院に行ったら「胃腸炎」と診断されました。
胃が痛むだけで、考えることがおっくうになり
仕事も集中したいのに、したとたん 「キリキリ」と痛み出して仕事になりませんでした。
痛みにも波があるので、嘘のように痛みが消えると
人生って素晴らしい♪
って思えて、いつもの倍 張りきりモードに突入。
でも、次の瞬間、すぐに胃が痛み出して 「眉間にシワ」状態でいたのでした。
言い訳ではありませんが、聖書も読めませんでした。
文字を追う事が出来ませんでした。
人間って頭だけではなく、胃と腸で物を考えているんだなって実感でした。
文章を読み始めると、同時に「キリキリ」胃が痛むのです。
病気っていいですね。
大病になると、ほんと、そんなことは言えませんが。
でも、私みたいな感謝を忘れっぽい人間には、こういった小さな病になって いつもがどれだけ幸せなのか知る事が良い場合があります。
普段、何気なくしていること…たとえば、仕事をこなすという事、考えるという事、聖書を好きなときに読む事、痛みが身体にないこと、美味しくご飯が食べれること…健康って本当に幸せ。
胃腸炎になって、苦しいけど なって良かった。
神様からのクリスマスプレゼント。
聖書の中で、イエス様が病に苦しむ人々を癒される場面が多々ある。
長年わずらった、誰もが見放した病の人々を癒すのだ。
でも、イエス様は決して「私が治してやった」とは言わない。
そこが素晴らしい!
「あなたの信仰が、あなたの病を治した」と言うのです(; ;)
自らの力で、病を克服したんだよ!という言い方で励ます。
私が病人だったら…そんな風に言われたら、どんなに嬉しいでしょう。
自分の病気が治った上に、自分にはそれを乗り越える力があるんだ!って もう、嬉しくて、この先も生きていく力と希望とが生まれるだろう。
もしも、イエス様が病人に 「また病気になったら、いつでも いらっしゃ~い!」って言ってたら
きっと聖書は旧約で終わりだったでしょう。
そこからも、イエス様がそんじょそこらの ミラクルピーポー達とは違うところです。
お金も徴収しませんし!
人々に旧約聖書を説いて、愛を伝えて、病を無料で治して、「私は神の子」と当時では自殺行為の発言をして、
最終的には叩かれて十字架につけられた…自分の特になることは一切望まずに生きた33年間。
私がイエス様の友達だったら、「もうちょっと、自分の為にも生きろよ~!」ってアドバイスしてたはず。
イエス様が自己犠牲の究極の愛を残してくれたから、
世界中に国籍、性別、年齢関係なく人生を救われた気持ちの人々が多くいる…
って、胃腸炎の話からどうやったら「自己犠牲の究極の愛」に展開したのでしょう。
タイトルと内容も一致しておりません。
あ、胃が…あいたたた。
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他に好きなものは音楽とヨーロッパと洋服。
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